Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

追憶#1

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 それでは、今日は、廃線跡の駅舎を見ていきたいと思います。

 写真は、名鉄美濃町線(廃止)美濃駅です(写真)。部分廃止で、美濃~新関間が廃止、新関~関間が新規開業しましたが、結局全線廃止となりました。

 同駅は、部分廃止時に廃駅となり、しかし記念館として保存されています。

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 同駅舎は木造の、そこそこ地方駅としても立派な部類であることから、文化庁が「登録有形文化財」の認定を行い、そのプレートが掲示されます(写真)。廃止で壊さなくて、良かったです。

 名鉄は、岐阜地区の600V区間を全て失い、路線延長が私鉄2位から3位に転落、東武を下回ることとなりました。残念です。

 同駅ホーム跡には保存車両があるので、それを取り上げたいのですが、それは次回以降に。

 それでは、次回をお楽しみに。

官線の名残

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 それでは、今日は、「京福電鉄」改め「えちぜん鉄道」三国港からお届けします。

 写真は、三国港駅少し福井方の、煉瓦アーチ橋です(写真)。しかも、線路に対し斜めに架かっていることから、「ねじりまんぼ」で、斜めにねじれて積まれているのです。

 この橋は、京福より前、官線の「三国港線」当時からのもので、その頃の遺構でもあります。是非、実物をご覧下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。

再起はあるのか?

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 それでは、今日は、ところ変わって北海道からお届けしたいと思います。

 北海道を旅行中、札幌から函館に行くのに、特急に乗れば良いところ、小樽から普通列車に乗りました。勿論「ウイスキーの聖地」に行きたいからですが、その後、延々と続く普通列車の、ローカルな風景を眺めていました。

 すると、ニセコ駅に、「?」と思う光景が(写真)。そう、SLの転車台です。JR創立直後には、「隠れスーパースター」C62 3号機が、札幌行きに折り返した場所です。

 あれから四半世紀、JR北海道を取り巻く状況は変わり、あんな大型機を復活させる余裕はどこにもありません。このまま、朽ち果てるだけなのか。JR北海道の、退行は、止まらないのでしょうか。悩ましいです。

 それでは、次回をお楽しみに。

瞼の恋人

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 それでは、今回は、ところ変わって「北近畿タンゴ鉄道」、現在の「京都丹後鉄道」、宮福線からお届けします。

 宮福線に乗っても、JR115系電車や、KTR700形ばかりで、なかなか巡り会えなかったMF形。MF100も僅か、増してMF200はいつも車庫で、なかなか残念でしたが、偶然乗り合わせる機会があり、福知山から宮津まで乗車しました。

 車両は、MF202、赤いMF2両のうちの1両です(写真、宮津にて撮影)。

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 車内は、0系発生品の回転リクライニングシートが装備され、車両の割りには贅沢です。そして、運転台(写真)。国鉄から独立した頃の、第三セクター鉄道気動車として標準的な運転台です。

 しかし、内部はともかく外装は傷みが見られ、KTR形では空調にトラブルのあるものもあり、うちわを車内で配っていたのも思い出です。運営主体が代わり、整備が行き届くよう願うのみです。

 それでは、次回をお楽しみに。

戦力外となっても#2

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 それでは、今回も引き続き、豊橋鉄道渥美線退役車両をお届けします。

 デワ11の隣には、デキ211が停まります(写真)。クリームにスカーレットの帯は、豊鉄らしいとも、名鉄特急の一時のストロークリームとも思われます。

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 運転台(写真)。大型の、おそらく直接式のGE製マスコンと、ブレーキが、横向きに配置されます。

 600Vから1500Vへの昇圧は、これらの車両を引退させましたが、本当は名鉄と直通運転がしたかった、との説もあります。関連会社ですから、そういう話もありそうですが、結局名鉄にその熱意が無く、新豊橋の移転を経て、現在の東急ダイヤモンドヘッドとなっています。

 これらの車両は引退しましたが、その後も保存され、幸運でしょう。ここまで電車が来ることはありませんが、バスは来ます。是非、見て下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。

戦力外となっても#1

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 それでは、今回は、豊橋鉄道引退車両をお届けします。

 写真は、渥美線デワ11です(写真)。電動貨車、二軸単車で半鋼製の車両です。田原市内の農業公園にて保存されます。

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 運転台(写真)。マスコンハンドブレーキのみで、エアブレーキも無く、単行を前提とした車両のようです。

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 内部(写真)。床から天井まで、骨組み以外は全部木材で、非常にウッディーです。

 渥美線600V当時使用されたこの車両は、1500V昇圧に伴い、対応改造されることなく引退しました。戦力外とは、残念。しかし、保存されているのは良いことです。

 それでは、次回をお楽しみに。

大外回り#3

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 それでは今回は、名鉄三河線、海線の廃線跡を辿る旅の、最終回です。

 旧一色町内は、廃線跡が道路と少し離れた場所を通るため、よく分かりません。そのまま、旧吉良町に来てしまいました。

 写真は吉良吉田駅、蒲郡線として残る旧三河線が、西尾線と合流する場所です(写真)。合流が分かる、二又の駅です。

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 旧来の蒲郡線三河線)1,2番ホーム(写真)。営業当時から右側1番線は使用頻度が低かったですが、現在は全く使われなくなり、新安城・西尾方面の3番線との間に中間改札を設け、2番線に蒲郡行きワンマン電車が停まります。

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 振り返ると、1番線側には架線柱が立ち車止め、2番線側は暫く線路と架線が続いています(写真)。

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 その先は、1番線側への渡り線跡があり、もう少し続いています。

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 広い道の踏切跡からの眺め(写真)。一つ前の踏切跡で線路は途切れ、架線もその少し先の架線柱で終わっています。

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 手前に戻って撮影(写真)。2番線側の本線も車止めで途切れ、1番線側は線路の間に樹木が生え、使用されなくなり時間が経っていることを教えます。

 入換及び停泊のための施設として、一部廃線跡が残りますが、既に遊休施設化しており、今後この場所が再開発される可能性も大きいです。駅前の一等地ですし。

 知立から碧南までは15分おき、碧南から吉良吉田までは1時間おき、吉良吉田から蒲郡までは30分おき、正直鉄道の頻度としては運転が少なく、結果電化が廃止され内燃車に置き換えられ、現在はバスとなっています。典型的な鉄道の退行ですが、それは「利用しない」ということで自ら招いた結果でもあります。

 吉良吉田~蒲郡間も、鉄道の存続そのものに疑問が生じるような利用で、私は事ある毎に利用するよう心がけていますが、今後が心配されます。存廃は、利用の結果です。

 それでは、次回をお楽しみに。

大外回り#2

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 それでは、今回も、引き続き名鉄三河線関連をお届けしたいと思います。

 碧南市から矢作川を渡り、対岸の、旧「一色町」(現「西尾市」)の、県道に架かる高架橋(写真)。普通の鉄道高架橋です。

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 この、北側(写真)。道路を跨ぐために、計画的に勾配を登り、道路を跨いでいます。

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 南側(写真)。こちらも計画的に勾配を登り、道路を跨いでいます。

 しかし、これは廃線跡で、三河線の碧南~吉良吉田間、廃止区間になっています。時間とお金をかけ完成しましたが、10年と使わずに、走ったのも気動車のみで、電車も走らず、廃止になってしまいました。完成から廃止までの期間が短く、耐用年数と補助金返還の問題もあったようです。他の用途に転用も出来ず、勿体ないです。

 それでは、次回をお楽しみに。

大外回り#1

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 それでは、今日からは、名鉄三河線(部分廃止)関連の写真をお届けしたいと思います。

 最初に行ったのは、碧南。かつては、ここから市街地を大回りして一色方面を目指していました。それは走ってショートカットすれば追いつくほど、とのことでした。

 スーパーの裏手に線路跡の空き地があり、ここから碧南駅方面が望めます(写真)。

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 折角なので、一つ北側の踏切跡に行きました(写真)。幾つも並ぶ車止めに、無念さが滲んでいます。

 蒲郡から大外回りをして刈谷知立を経て猿投、西中金に到達し、最終的には飯田までの路線建設を画策した、旧「三河鉄道」は、西中金から足助方面に建設中に、未成線が出来たまま、名鉄に戦時合併されます。しかし保持する免許により、数十年後豊田線が開業、鉄道路線免許は昔のままであるのが分かります。以降は縮小で、廃止が続いています。向きは、変わらないのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

真夏の涼感#5

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 それでは、今回は、近鉄奈良線旧生駒トンネル最終回です。

 トンネルの途中に、北側に分岐するトンネルがあり、そこに手書き風の「石切開閉所」との看板があります(写真)。

 ここから、広いトンネルが分岐しています。

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 その先は、少し下っています(写真)。

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 その先は、更に下っています(写真)。

 この先は、「東大阪線」、現在の「けいはんな線」の、生駒トンネルに繋がっています。旧生駒トンネルは、そのトンネル工事の作業用通路でもあり、ダンプや重機が通ったため、地盤がコンクリートで固められています。完成後は、事故時の避難用出口の機能もあります。

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 その位置は、「出口 石切側 465メートル」です(写真)。北側を通るため、向きは反対です。

 8月の盛夏の時期でも、10度台と、非常に涼しく、怪談ではありませんが気持ちの良いものでしたが、発汗対策をする必要があり、登山用の合羽がある人は持っていった方が良いと思います。しかし、今年の開催はあるでしょうか?

 それでは、次回をお楽しみに。