Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

今は見られません

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 それでは、今日も引き続き「小樽総合博物館」からお届けしたいと思います。

 写真は、転車台、本館に近い側のものです(写真)。現在も、アメリカ・ポーター社製のSL「アイアンホース」号が使用します。

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 その回りには、扇形庫があります。写真は、北側の三号扇形庫(写真)。除雪用のマックレー車ロータリー車(テンダ無し)、レールバス、国産最古級のSL「大勝号」が入っています。

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 ジョルダン車2両を挟んだ先には、一号扇形庫があります(写真)。アイアンホース号のねぐらでもあります。

 転車台はともかく、扇形庫は2つとも歴史的建造物で、重要文化財に指定されています。明治期に北海道で最初に開通した「手宮線」の遺構でもあり、歴史的価値があります。ただ、現在は雪の中で、春の雪解けまで見学が出来ません。残念でした。

 それでは、次回をお楽しみに。

道外禁止

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 それでは、今日も引き続き「小樽総合博物館」ネタをお届けします。

 今日は、ED76 509です(写真)。北海道用の電機、サイリスタ制御の本格採用となりましたが、運炭列車を牽引する計画が中止となり、満足な活躍もせず引退しました。

 特徴は、ED76でありながら貫通路があり重連対応、また屋根の汽笛以外に後付けのようなタイフォンが装備されます。

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 運転台(写真)。左ブレーキ右マスコンは通常で、ED75とほぼ同様の割り付けと思われます。

 青函用に改造されたED76 551を撮りたかったですが、残念、現存しません。

 それでは、次回をお楽しみに。

本物

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 それでは、今回も「小樽総合博物館」ネタをお届けしたいと思います。

 写真の車両は、スユニ50 501です(写真)。足回り等を旧式車から再用し、車体を50系客車に準じ新製した車両です。しかし製造後間もなく郵便荷物輸送が廃止され、大量に廃車されることとなります。

 本州用は電気暖房対応で+2000されますが、北海道用はそうではなく、一般客車の北海道用と同じく500番代で、その初号です。

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 両端はオハフ50、オハフ51同様緩急車の設備があり、少し見えています。そして、手前は荷物室です(写真)。車体の床は普通の板張り、木製スノコが載せられます。

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 そして、トイレと喫煙室で、郵便室と仕切られます(写真)。

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 中間の、郵便仕分け室(写真)。列車の車内で仕分けをするのですが、今では人形を置かないと分からない、そういう設備となっています。

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 そして、荷物室同様大きな手動扉で搬入する、郵袋室(写真)。ここに郵袋が持ち込まれ、ここから仕分けに入れられます。

 今では、説明が必要なほど分からない設備となっています。時代ですが、それだけ道路網が発達したということでもあります。何故多くの中央郵便局は駅前なのか、それも同じ理由、今では分かりにくくなっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

現金輸送車

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 それでは、今日も引き続き、小樽総合博物館からお届けしたいと思います。

 写真は、マニ50のようですが、何か違う。そうです、マニ30 2012です(写真)。日銀の現金輸送用の客車、犯罪に備え運用も極秘で、外観も出来るだけマニ50に似せて造られています。

 現金輸送が自動車となったことから運用は廃止され、現存は小樽のこの1両のみです。

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 荷物室に相当する部分には、現金が積まれ、番号と位置が書かれています(写真)。

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 反対側も、位置が書かれています(写真)。

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 その奥は、トイレと喫煙席、その奥はレール方向の2段寝台、A寝台に相当するサイズの寝台です(写真)。天井にはクーラーも装備され、2000番代は電気暖房の車両、空調は完備しています。

 知らぬ間に登場し、知らぬ間に消えていった車両で、実感も沸きませんが、貴重な車両であることは分かります。現存もこれだけですので、永く残って欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

白鳥形

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 それでは、今日は、北海道と縁の深い車両をお届けします。

 その車両は、キハ82 1です(写真)。キハ81「はつかり」の量産型、最初に使われた列車が大阪~直江津~新潟~青森間、及び付属編成が大阪~直江津~長野~上野を結んだ特急「白鳥」であったことから、「白鳥形」と呼ばれる特急車、後に勾配線区を除き、北海道から九州まで、幅広く活躍した車両です。

 現在は小樽総合博物館にて展示されます(写真)。函館~長万部~小樽~札幌を結んだ特急「北海」を掲出します。

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 運転士席(写真)。中央の仕切りが目立ちます。

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 助士席(写真)。登場当時は2人乗務が通常でした。

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 中央部からの眺め(写真)。中間となる時には、仕切りで運転台等を閉鎖出来る構造になっています。

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 座席(写真)。当時の特急2等車の標準、回転クロスシートです。

 北海道では、昭和60年代までにキハ183系に置き換えられましたが、JR東海管内では平成まで使用され、特急「ひだ」や特急「南紀」で使用されましたが、特急「南紀」での活躍を最後に、全車引退、現在は静態保存車両のみです。

 それでは、次回をお楽しみに。

生き残り

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 それでは、今日は、糸魚川気動車をお届けします。

 大糸線JR西日本区間は、大糸北線とでも呼ぶべき状況で、現在はキハ120が使用されますが、以前は3両のキハ52が使用されました。置き換え後津山に1両、いすみ鉄道に1両行き、残りキハ52 156は、長く松任で保存されましたが、現在は北陸新幹線糸魚川駅高架下の施設にて、静態保存されます(写真)。

 現役当時は、いわゆる「首都圏色」、朱色で一面塗られていましたが、現在は朱のツートンの、一般的な国鉄色塗装になりました。結局3両ともこの色です。

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 同車の運転台(写真)。一般的ですが、キーで変速段、直結1段、2段を切り替えます。それは、確かに電車より手間で、直接式であった頃並みです。

 引退後、海外に輸出されたりしましたが、国内に残ったのは良いことです。永く大切にして欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

Zoo

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 それでは、今日は、長野ネタをもう少しお届けします。

 須坂市、須坂動物園には、D51 401が保存されます(写真)。煙突には、長工式か集煙装置が装備されます。

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 キャブ(写真)。安定した時期の、標準型D51です。

 あまり余裕のない敷地に、工夫して動物等を展示する動物園で、動物好きの方には良いでしょうが、基本動物は嫌いな私には、ちょっとといった感じです。なお、一般に動物園の飼育員の方は、獣医の資格を持っています。

 それでは、次回をお楽しみに。

クモユニ

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 それでは、今回も引き続き、長野車両センターネタをお届けしたいと思います。

 今回は、クモユニ143-3です(写真)。スカ色か、山スカ色か微妙です(115系のテリトリーなので、山スカなのでしょう)が、内部改造は全く行わないまま、牽引車代用で使用されます。

 ブレーキ読み替え装置等を装備せず、そのままということで、郵便荷物電車のまま残っています。

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 先ずは、手前側のドアから覗いた、荷物室(写真)。奥にトイレが見えています。また、床がリノリウム張りの平面ではなく、金属のスノコ状になっています。

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 同じドアから眺めた、反対側(写真)。郵便室との仕切りが見えています。床は全面スノコ状です。

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 次のドアから覗いた、郵便室(写真)。仕分け棚と座席が見え、床はリノリウム張りになっています。

 どちらにも手動大型ドアがあり、荷物の出し入れが考えられていますが、国鉄改革が原因で郵便荷物輸送が廃止となり、本来の用途ではほとんど使用されず、現在の牽引車が長くなっています。しかし、それ以前の時代の様子を残す、貴重な証人となっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

足回り

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 それでは、今回は、引き続き長野車両センターネタをお届けしたいと思います。

 リフティングに使用されるクハ115の、載せられる本来の台車(写真)。形式はTR62とされ、ディスクブレーキが特徴です。枕バネ、軸バネ共にコイルバネでした。

 115系自体は優れた電車ですが、シートピッチ等の小変更はあるものの、同様な電車を20年あまり造り続けたのも、国鉄の沈滞化の象徴です。ただ、勾配線区用にノッチ戻しや勾配抑速ブレーキも装備し、現在もまだ現役車が多数活躍しますが、そろそろ心配な時期になってきました。長野地区は激減し、東で残るのは新潟地区のみとなっています。その意味では、中国地方は楽園でしょうが、そういって撮影の機会を逃さないようにしましょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

平行#2

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 それでは、今日は、JR東日本長野車両センター(旧称「長野工場」)のトラバーサをお届けします。

 公開イベント時に、飾られるトラバーサ(写真)。乗車体験用ではありません。電動式、手前側の支柱の上にあるパンタグラフで集電し、奥の小さなボックスで操作します。

 敷地を有効利用するには必要な機器、これで円形や扇形にする必要が無く、矩形に出来ます。

 それでは、次回をお楽しみに。