Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

平行#1

f:id:seichiro0:20170207200322j:plain

 それでは、今回は、トラバーサをお届けしたいと思います。

 今日の写真は、JR四国多度津工場の、トラバーサです(写真)。ビニールクロスの屋根付き、運転台のあるタイプです。ちょうど反対側に見えています。集電はパンタグラフ式で、奥側に架線と3台のパンタグラフが見えています。駆動は左右2台のモーターで行っていると思われます。

 矩形の工場では、敷地の有効利用に欠かせないトラバーサ、工場の特徴が出ています。

 それでは、次回をお楽しみに。

流用

f:id:seichiro0:20170206201531j:plain

 それでは、今回は、山陽電鉄東二見からお届けします。

 山陽電鉄初号車の生まれ変わり、206の台車(写真)。イコライザー式の旧式な台車、本当に再利用、旧式車の流用です。

 車体の鋼製化は、昭和に入って進み、同社も逐次進めたのでしょう、木造電車の使える部分の再利用をしたということです。現代のボルスタレスと、どちらが優れているのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

威風堂々

f:id:seichiro0:20170205191821j:plain

 それでは、今日は久しぶりに橋梁をお届けします。

 中央本線中央東線信濃境から富士見にかけて、下り線右方に、立派な橋梁が見えます(写真)。これは、中央本線旧立場川橋梁で、単線時代の同線の橋梁でした。上路トラス橋で、前後に桁橋が続きます。

 電化までは使用され、橋梁自体に設置出来ない架線柱を側方に建て、高くなっていますが、複線化で放棄され、現在の姿になります。今でも現役のように立派ですが、使用されません。

 それでは、次回をお楽しみに。

大荷物

f:id:seichiro0:20170204214812j:plain

 それでは、今日は、大物車を見ていきたいと思います。

 紀勢本線多気から参宮線方面に向かうと、間もなく進行方向左手の工場に見えてくるのが、写真の大物車、シキ800Cです(写真)。運搬方法でABCDの区別があり、Cは落とし込み式を意味します。

 2軸の台車2つで台車、それが2つで片側になり、総勢16軸に重量を分散し、大型貨物、おそらく電力用変圧器を輸送します。資料によると、140t積みとのことです。

 大物車は、夜間低速で走行します。一度走行する姿を撮ってみたいですが、一般に真夜中で、難しいです。機会はあるでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

町並みに合わせて

f:id:seichiro0:20170202211750j:plain

 それでは、今回は、都内小金井市の「江戸東京たてもの園」からお届けします。

 写真は、都電7514、園内の町並みに合わせて設置され、静態保存されます。

 昭和期の東京には欠かせない都電、園内のこの部分の景観にも合っています。

f:id:seichiro0:20170202211803j:plain

 運転台(写真)。機器は簡素ですが、現在走っていても違和感なく、実際にも車体更新車が最近まで走っていました。

 都電も荒川線は残り、現在も走ります。廃止したのは、正解だったのか、どうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

公園の片隅で

f:id:seichiro0:20170202210842j:plain

 それでは、今日は、都内で保存されるSLをお届けします。

 写真は、板橋区の公園にて保存されるD51 513です(写真)。最も安定していた時代のD51、まだ戦争の足音は聞こえてきません。

f:id:seichiro0:20170202210856j:plain

 その、キャブ(写真)。錆びも目立ち、砂っぽいのを除けば、この時期のものとしては普通か。特段良い、という程ではなく、動態化を考えると難しそうです。

 都内にも、多数保存機があり、SL最右翼のD51も、相当あります。そういうのを探すのも良いですが、ありかが書かれた本もあります。

 それでは、次回をお楽しみに。

九死に一生

f:id:seichiro0:20170201201611j:plain

 それでは、今回は先回に引き続き、真岡鐵道真岡駅「SLキューロク館」からお届けします。

 今日の写真は、D51 146です(写真)。普通の、標準形D51ですが、昨年からの展示です。

 同機は、静岡市内の公園にて保存されていましたが、同地で解体の危機にあったところ、譲受し、真岡まで運び込まれました。この設置で、一部車両展示位置が移動しました。

f:id:seichiro0:20170201201629j:plain

 キャブ(写真)。D51標準形で、「ナメクジ」でも無く、中も一般的です。静岡で荒れ放題であったことを思えば、まあまあです。

 スクラップにするのは簡単ですが、戻すことは出来ません。少しでも多くの保存機が残るよう、願いたいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

Reverse

f:id:seichiro0:20170131212247j:plain

 それでは、今回は、真岡の「SLキューロク館」からお届けします。

 かつては真岡市内の公園にて保存されていた9600形、49671ですが、現在は真岡駅併設の「SLキューロク館」のメイン展示となっています。

 なお、土休日の定時には、内部に設置されたエアコンプレッサーで、館内から自走で小移動の実演が行われます。

f:id:seichiro0:20170131212300j:plain

 同機のキャブ(写真)。走行するということで、全部完璧に揃っています。

 ボイラの前を棒が渡り、大きな存在となっていますが、これが同機の加減弁、現役当時、機関士が右側の安全を確認しながら走ったことから、通常とは反対の右機関士となり、同機の大きな特徴となっています。。こんな特異機が残っています。

 それでは、次回をお楽しみに。

試験車

f:id:seichiro0:20170130201001j:plain

 それでは、今日は、先回と同じく、国立市の施設からお届けします。

 鉄道総研、現在のJR総研の前の市施設「ひかりプラザ」には、山陽新幹線高速度試験車、951-1が保存されます(写真)。

 なお、この周辺の地名は、新幹線に因み、「光町」です。

f:id:seichiro0:20170130201012j:plain

 昼間、開館時間であれば、車内見学が出来ます。室内は既に座席は撤去され、新幹線関連記念品の展示が行われています。

 運転台にも入れます(写真)。試験車であることから、0系と比べ、右側のインパネが増えています。昭和40年代の試験車のイメージで、東北新幹線試験車961と比べても少し古い感じです。

 951の試験が完了しても0系の増備は続きましたが、100系への基礎資料とはなったようです。

 それでは、次回をお楽しみに。

逓信

f:id:seichiro0:20170129195515j:plain

 それでは、今日は、現存する数少ない「郵便車」をお届けしたいと思います。

 近代日本で、鉄道と共に全国規模に拡大した、郵便。しかし、現在の道路網の発展に伴い、トラック輸送に取って代わられ、現在は廃止となっています。

 その名残を伝える、中央郵政研修所(国立市)にて保存される、オユ10 2555(写真)。隅田川貨物駅から、東北本線を経由し、遙か北海道まで運用に就いた、郵便客車です。引退し、保存されます。

f:id:seichiro0:20170129195531j:plain

 先ずは、デッキから見学します(写真)。郵便荷物車は、編成の端に連結されるため、緩急車の機能もあります。

f:id:seichiro0:20170129195551j:plain

 続いて、郵袋室(写真)。専用ドアがあり、郵便局からの郵袋を積み込む場所です。

f:id:seichiro0:20170129195630j:plain

 区分室(写真)。開封した郵袋の中身の郵便物を、区分整理する場所です。

f:id:seichiro0:20170129195647j:plain

 冷水器(写真)。後はトイレ、反対は喫煙席(休憩場所)で、奥にはもう一つの郵袋室があります。

 奥の部屋には、郵便車、郵便電車の写真が多数あり、製造から僅か数年で解体された、クモユ143の写真もありました。

 今後道路網が後退することは無く、鉄道で郵便を輸送するという時代が再び来る可能性は低いですが、過去の記録として保存されるのは良いことです。その時代に思いを馳せることができます。

 それでは、次回をお楽しみに。