Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

トンネルの向こう側#3

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 それでは、今回は、引き続き九州の写真をお届けします。

 写真は、キハ2004(写真)。元留萌鉄道の気動車、後に茨城交通(後に「ひたちなか海浜鉄道」)で、準急色で現役でしたが、引退後へいちく線に譲渡、動態復活を目標としているようです。国鉄キハ20同形で、同形の好きな茨城交通に集まってきました。

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 こちら側は無動力の台車か、そうであればTR51形台車です。

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 であればこちらが動力側か、であればDT22です。どちらもウイングバネで軸箱を支持します。

 後に、新幹線に名称を召し上げとなった準急「ひかり」を復刻すべく、入線したとのことで、塗装もその姿、ヘッドマークを掲げ走る姿を見たいですが、まだまだすべきことはあるようにも思われます。しかし、以前とは停止位置が異なり、移動させられたのでしょうが、期待は持てそうな気がします。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#2

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 それでは、今回も引き続き、九州からの写真をお届けします。

 写真は、19633、若松駅近くに保存されるキューロクです(写真)。国産初の大型SL、大正期を代表する貨物機です。戦時期に満州に多数出征し、そのまま中国の鉄道で使用、「中国鉄道博物館」にて展示されるものもあります。まさか北京で再会とは。

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 先輪からシリンダー、ダイヤモンドヘッドまで(写真)。車輪は全て欧風にスポーク車輪です。

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 シリンダーから、走り装置まで(写真)。これも第3動輪が主動輪、スポークのバランサーが大きいです。この、ロッドの停まっている位置が、どうも保存時の理想的な位置のようです。

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 テンダ(炭水車)の足回り(写真)。2軸でも、4軸ボギー車でも無い、3軸です。車体支持部分の一部が喪失していますが、分かるでしょうか。

 かつてここまで若松操車場であったことが分かりますが、若松駅からちょっと離れ、操車場の大きさが分かります。

 しかし、車体はボロボロで、補修が間に合うのか。ヘッドライトも喪失し、車体も錆びるまま、塗装補修もしないままこの状態となり、平成元年にこの位置に設置したそうですが、次の元号が迎えられるか、疑問です。補修より解体を選択する可能性が大きく、心配な状況です。何とかならないのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#1

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 それでは、今回は、九州の写真からお届けします。

 ツアーは四国から本州経由で九州へ。それだけのツアーが出来る時期は、限られています。

 そして再び海底トンネルを抜け、対岸へ。若松駅です。筑豊本線の起点であり、筑豊の石炭を積み出した場所でもある若松は、車両工場があり、永く大きな構内のあった駅ですが、現在は再開発が進み、その跡形もありません。

 その工場を記念する施設として、石炭車セム1形セム1000が、駅ホームの横に保存されています(写真)。車種名は、「石炭車」で、セが割り当てられています。見てのとおり半鋼製車で、足回りは2軸の単車、台枠と車体下部は鋼製で、上部の積載部分は木材を使用し、経費の節減が図られています。初期の石炭車と思われます。

 石炭は、北海道と九州が華で、正直輸出出来るほどでは無いかと思いますが、現在はコスト面等の問題があり、ほとんどの炭砿は採掘を止めています。まあ、石炭の粉が引火すれば爆発となり、本当に命懸けの仕事でした。

 それでは、次回をお楽しみに。

帰郷

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 それでは、今回は下松市の保存SLを見ていきたいと思います。

 下松市笠戸島の宿泊施設駐車場に、D51 592が保存されます(写真)。同じ下松市の、日立製作所笠戸工場にて製造された機関車、一時九州に移転するも最後は本州に戻り、廃車後生誕地に近いこの場所にて保存されます。

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 その、走り装置(写真)。シリンダーの前後運動はダイヤモンドヘッドと主連棒で回転運動となり、主動輪である第3動輪を回転、そこから連結棒で他の動輪に力が伝わります。その上部がシリンダーの前進後退を調整する部分で、逆転機を回転させ切り替わり、進角が調整出来ます。

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 その心臓部の、ダイヤモンドヘッドのアップ(写真)。これだけの装置で、回転運動が発生するのは摩訶不思議です。これを発明した人は、やはり凄いです。

 日本の近代SLは、ワルシャート式と呼ばれる装置を採用しており、D51も正にそのとおり、これもその1輌です。今でこそ色々な技術がありますが、ちょっと前にはこれしか機関が無く、このサイズに当時の技術が収まったのは、それもまた技術史に残ることです。まだまだ外燃式も発展の余地があったという人もいますが、残念ながら現在は主流では無く、内燃式や電気式が主流です。しかし、歴史的価値として、これらの機械が後の世に残ることは、大切なことだと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

二日限り

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 それでは、今回は、四国の写真をお届けします。

 知る人ぞ知る、予讃線「津島ノ宮」駅です(写真)。毎年、年に2日だけ営業する駅です。普段はどうなっているか興味があったので、何もない日に行ってみました。

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 ホームの様子(写真)。カーブの途中にホームがあります。

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 営業時に券売所となる、駅舎(写真)。それなりの設備があります。

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 ホームから、出口方面(写真)。この横は、踏切です。

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 踏切と反対方向に進むと、写真の鳥居があります(写真)。津嶋神社です。年に2日大祭の日に、神社のご神体がある島への橋に床板が取り付けられ、渡れるようです。

 なお、津島ノ宮駅は、この大祭の日のみの営業であることから、日本で一番営業日数が短い駅として知られます。やはり多くの人が参拝するのでしょう。駅ナンバリングもありません。

 それでは、次回をお楽しみに。

何かの縁で#2

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 それでは、今回も引き続き、西尾市の保存SL、C12 230をお届けします。写真は、再掲です(写真)。

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 階段を登り、キャブが見学出来ます(写真)。ボイラの焚き口、則ち中央部分(写真)。足踏み式の両開きの焚き口では無く、チェーンを引っ張り開ける方式の焚き口、小型のボイラのSLで採られる方式です。上には全開用のレバーがあります。上方の水面計のガラスは汚いながら両方揃い、屋外で低い柵だけで守られた同機には、信じられないことです。

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 助士席(写真)。石炭を投入しないときには、ここに着席します。

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 機関士席(写真)。上から加減弁(アクセル)、圧力計、速度計、回転式逆転機、単弁、編成ブレーキで、ブレーキのハンドルが一つありません。機関士には着席用のシートもあり、座布団が敷かれます。

 逆転機を回すだけで、弁装置の出入が前後反対になり、結果進行方向が入れ替わる仕組みは見事です。ただ、C62などでは回転式では無くレバー式で、調整が難しいとの話もあります。小型機や貨物機には無い悩みです。

 それでは、次回をお楽しみに。

何かの縁で#1

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 それでは、今回からは、西尾市のSLについてお届けします。

 写真は、C12 230です(写真)。西尾市城址公園にて保存されます。

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 先輪と、シリンダー(写真)。先輪はスポーク車輪です。上部でピストンの前後への蒸気供給を切り替えます。

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 動輪と、主連棒他作用装置(写真)。動輪3つもスポーク動輪です。ワルシャート式の機械部分が全部出ています。この調整で、前後に進みます。しかし、主連棒と連結棒が重なってしまい、あまり美しい姿ではありません。多分反対側は120°ずれていますが、どちらにずれていても、あまり期待出来ません。

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 後の従輪(写真)。これは交換されたのか、圧延車輪になっています。

 横には階段があり、キャブへと誘っています。しかしそれは、次回とします。

 それでは、次回をお楽しみに。

構内配線

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 それでは、今回は、四日市市の末広可動橋をお届けします。

 末広可動橋は、JR四日市駅と、四日市港にあるセメント工場への側線とを結ぶ橋梁で、船舶が通れるよう跳ね上げ式の可動橋となっています。現役の鉄道としては数少ない、現在も動く可動橋です。通常は、跳ね上げた状態で停止しています(写真)。

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 しかし、1日通常5便の貨物列車がやって来るときだけ、直前に職員が(通常は)自転車でやって来て、対岸の白い小屋で操作、橋桁を下げます(写真)。

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 そして、定時に列車は通過(写真)。DD51なのが、この写真の古さを物語りますが、現在はDF200の何処に、連結手は乗っているのでしょうか。興味があります。

 それでは、次回をお楽しみに。

土竜#10

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 それでは、今回は、三国峠関連、最終回です。

 写真は、土合駅駅前から左側に見える部分(写真)。ここが、先回の通路の部分です。幅広の通路と、狭い通路が、不自然に接合されています。

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 その、幅広の通路部分(写真)。小型の重機なら通れる位、広い空間です。

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 その先は、階段となっており、地下へと下る方向にトンネルが続きます。

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 その階段は、約500段。その、下側から、入口方面を眺めた姿(写真)。降りるだけでも息が切れます。

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 階段の先には、横方向のトンネルが見えてきます(写真)。

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 その、左側(写真)。駅になっていますが、ホームの前にホームがあります。

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 その、右側(写真)。現在は、列車は本線上に停車します。

 建設当初は、列車の待避が出来るよう待避線があり、それにホームが面していましたが、上越新幹線も開業し、優等列車を待避する必要も無くなったことから、平成の半ばに待避線を廃止し、その上にホームを建設、現在は本線に面しており、それでホームが二重になっているのでした。この旧ホーム前には、レール締結の跡が残っています。

 そして、約500段上り、休み休みに出口へと戻りました。

 冷静に考えると、土合は谷川岳の玄関口、駅ホームから階段を登るのは、すでに登山の一部、一種の儀式のようなものでしょう。これだけ登れば、弥が上にも気持ちが昂ぶることでしょう。私には、それだけの根性はありません。

 それでは、次回をお楽しみに。

土竜#9

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 それでは、今回も引き続き、三国峠関連をお届けしたいと思います。

 写真は、湯桧曽の次の駅、「土合」です(写真)。山小屋風の駅です。正面の透明なプラスチックの壁は、風防と思われます。駅に、入ります。

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 駅の右側は、出札口と、手荷物窓口です(写真)。有人駅当時の設備で、現在は閉鎖されています。

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 駅の、左側(写真)。待合室と、キヨスクか立ち食い蕎麦か、物販施設の跡があります。現在は、宿泊や居住を禁止するためか、待合室まで閉鎖されています。

 何れも、上越新幹線が開業する前に出来た施設なのでしょう、一ローカル駅にしては贅沢な造りです。特急が停まることは無かったと思いますが、普通ももっと本数があって、本当に谷川岳登山の玄関口であったのでしょう。

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 改札(写真)。その先は、左右に通路が続きます。

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 右に行くと、外に出て、上り水上・上野方面ホームになっています(写真)。開業当時は交換駅であったのでしょう、架線柱はもっと線路があっても良さそうな余裕があります。現在は、交換も、待避も行わない、単線です。

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 しかし、下り線が、見当たりません。それは、改札左側の、通路の先になっているからです。その、通路の方向に、向かうと、写真のようなブロック積みの通路となり、ドアで、戻るのが困難と、何度も注意がされています(写真)。

 その方向へ向かうのですが、その前で今回は終わりです。どうなっているのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。