Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

大正期まで#10

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 それでは、今回からは、網走本線、池北線、後のちほく鉄道ふるさと銀河線(廃止)、陸別駅にて保存される車両たちを紹介していきたいと思います。

 写真は、CR75-1です(写真)。多数派を占めたCR70形とほぼ同じ新潟鐵工所(現「新潟トランシス」)の「軽快気動車」ですが、乗車定員が少なく、自動販売機が設置されています。現在も、陸別で動態保存となっています。

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 その、台車(写真)。NP122とされますが、DかTかは分かりません。軸バネペデスタル式、枕バネは空気バネで、住友金属の陽刻も確認出来ます。完全なボルスタ台車です。

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 もう一方の台車(写真)。これも同じ、しかしDかTかは分かりません。

 国鉄から第三セクターに切り替わり、軽快気動車で経営改善を図りましたが、経営安定化基金が底をつき、結果廃止となったのは残念です。

 旭川から網走へは、今では石北本線遠軽経由となり、かなり短縮されましたが、昔は十勝地方、池田まで下がってから続く線路であり、網走は正に地の果てであったわけです。当時の土木技術が原因ですが、何と遠かったのでしょうか。昔は、大変でした。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#9

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 それでは、今回は湧網線(廃止)佐呂間の最終回です。

 写真は、D51 565のテンダ(炭水車)、前側の台車です(写真)。板バネの軸バネ、2軸台車です。

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 後側の台車(写真)。こちらも同構造、ボギー車です。

 小型のテンダの場合は、3軸の場合もありますが、基本的にはボギー車です。必要な炭水の量によりますが、やはりD51は大食いでしょうから、大きくなっています。

 SLは、天気によって状態が変わり、夏と冬でも異なり、大変な気分屋ですが、それを御したときの喜びは大きいようです。昔は、猛者も多くいました。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#8

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 それでは、今回も引き続き、湧網線(廃止)佐呂間からお届けします。

 写真は、D51 565の、先輪、シリンダー及びダイヤモンドヘッドです(写真)。ボイラの誘導、及び蒸気の直線往復運動を発生させる場所です。

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 続いて、D51 565の、動輪、主連棒、連結棒です(写真)。3番目が主動輪、ここに主連棒が繋がれ、往復運動が回転運動に変わります。上方の逆転機で、回転の向きが切り替わります。

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 そして、ボイラの火室下、従輪です(写真)。1軸はD51全部同じですが、2軸に改造されると配置がミカドからバークシャーに変わり、形式はD61になります。9600を置き換えるべく改造されましたが、本線用のD51が不足したため6輌のみで羽幌線(廃止)にて集中使用、余裕が出たときにはSLの時代は終焉で、ほとんど効果がありませんでした。

 未だ道路の踏切標識は、煙を出したSLのものが残っており、昔はそれが当たり前でしたが、今や動態保存のみで、僅かな期間で取って代わりました。時代です。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#7

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 それでは、今回も引き続き、湧網線(廃止)佐呂間からお届けします。

 写真は、同所に静態保存される、D51 565(写真)。一般形で、準戦時形では無く、安定した時期の製作です。

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 その、キャブ(写真)。屋外保存でかなり壊れています。ガラスも割れていますが、概ね原形を留めているというべきか。やはり屋外展示の限界というべきでしょう。

 壊す人には何でもないのでしょうが、かつては動く機械であった同機が、このような姿になっていくのは、やはり残念というべきか。保存のあり方も、考えるべきでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#6

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 それでは、今回も引き続き、湧網線(廃止)佐呂間からお届けします。

 写真は、同所で保存されるDE10 1677の、2軸動台車(写真)。DT131Eとされます。

 同機も現役機とほぼ同じ、古さは感じませんが、調子が悪かったのか、それともそれほどの余剰を発生してしまったのか、状況はよく分かりません。しかし貨物列車が激減し、必要数も減り、結果こうなったというのは分かる気がします。本当に、残念です。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#5

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 それでは、今回も引き続き、湧網線(廃止)佐呂間からお届けします。

 写真は、静態保存される、DE10 1677の、3軸側の台車(写真)。後期の簡素化された3軸台車、DT141のようです。

 エンジンをチューンナップされ、SGを非搭載とした1500番代、現役機も多いところ、同機は何故か余剰で早期に引退となり、余生を過ごしています。当時で既にそこまで北海道の鉄道はズタズタであったようです。発達していた鉄道網が衰退し、かなり前と同じ所まで来ています。今後、更に難しいこととなるのか。悩ましいですが、確かに私も永く利用していない気がします。何とかして欲しいのですが。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#4

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 それでは、今回も引き続き、湧網線(廃止)佐呂間からお届けします。

 写真は、車掌車、ヨ8017の、車軸(写真)。ヨ8000形は二軸車のため、台車はなく、写真のように板バネの軸バネで、上下に動くようになっています。

 ヨ8000形は最後の車掌車新系列、高速運転に対応した車両とされます。これで可能なのかと思うと、何か納得出来ます。編成末尾のブレーキ手が要らなくなって、もうどの位経つのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#3

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 それでは、今回も引き続き、湧網線(廃止)佐呂間の保存車からお届けします。

 写真は、スユニ50 517の台車(写真)。TR47、軸箱支持はウイングバネペデスタル式ですが、枕バネは板バネ、かなり旧式の部類に入る台車で、スハフ44等の旧式客車で使用されているものです。

 スユニ50も、国鉄最後の一般形客車50系客車の一族に入りますが、車体は新製も台車は新製では無く、旧式客車の発生品を使用しています。業務用客車に乗客と同じ乗り心地は必要ないとの判断でしょうが、50系客車登場から間もなく、鉄道による郵便や手荷物の運送は全廃となり、その用途の車両はほとんど廃車され、一部が業務用車両や保存車両で残るのみです。国鉄を巡る環境が大変化した時代、時代に取り残され、いつの間にか消え去っていきました。残念です。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#2

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 それでは、今回も引き続き、佐呂間で保存されるスユニ50 517を見ていきたいと思います(写真)。

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 写真は、荷物室(写真)。床の金属製のスノコが特徴で、ほぼ全部の荷物車は、この床です。手荷物、小荷物を輸送する部分、トラックによる宅配便が常識の現在からは、用途が思いつかない部分です。これは貨車では無く、荷物客車です。新聞が、荷物の代表例です。

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 その後には、車掌室があります(写真)。2人掛けの固定クロスシートが左右にあり、4人着席可能です。その後に、緩急施設があると思われます。郵便車、荷物車は中間には繋がず、通常どちらかの車端であり、この施設があります。

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 郵便室との中間、片側には洗面台があります(写真)。ボタンで水と湯が出る蛇口があり、洗面台は陶器製です。

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 その反対側は、トイレです(写真)。昭和40年代から50年代の、国鉄車両のトイレ、0系新幹線でも同様のステンレス製トイレであったと思います。循環式で、中を青い水(銅イオン水溶液)が流れ、固形物のみ濾し、再度循環させ便器を洗浄するため、だんだんステンレスに銅イオンが付着、青く変わっていた記憶があります。

 客車の車番500番代は、北海道仕様を意味します。北海道対策を施され製造された同車ですが、間もなく鉄道での郵便荷物輸送が全廃となり、全車両用途廃止、余剰となり、一部が保存された以外は廃車、解体の憂き目に遭いました。

 体質改善のために、車体のみ新製、リサイクル可能な部分はリサイクルし、極力資源を有効活用しようとしたものの、間もなく用途廃止で、有効に使い切ることが出来なかったのは残念でした。今後の教訓となったでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#1

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 それでは、今回からは、北海道関連の写真をお届けしたいと思います。

 写真は、国鉄湧網線(廃止)佐呂間駅跡に保存される、スユニ50 517です(写真)。郵便荷物客車、車体は新製で50系客車に分類されますが、当時の国鉄の経営状態を反映し、それ以外、台車等の部品は再利用されたものです。

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 今回は、郵便室を取り上げます。

 郵便室の、郵袋室(写真)。各地の郵便局から、郵便物を入れた郵袋を置く場所です。一旦ここに入れた後、区分をされます。

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 区分を行う、区分室(写真)。郵袋から郵便物を出し、ここで仕分けをして、次に引き継ぎます。

 スユニは、重量ス級、郵便ユ、荷物ニの略称で、郵便荷物客車を意味します。国鉄末期以降、鉄道での郵便も、荷物も運搬をしないことから、現在は全車廃車、保存車のみ残ります。列車内で仕分けしていた時代、今は考えられません。

 それでは、次回をお楽しみに。