Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

拘り#1

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 それでは、今回からは、京急久里浜のイベントからお届けします。

 写真は、イコライザー台車(写真)。戦前形の電車のものですが、同所で保存される1のものでも、51のものでも無く、恐らく川口市で保存されていて、京急本社に持ってくる予定の電車の、整備中の台車と思われます。

 京急は、首都圏では少数派である標準軌の鉄道で、都営浅草線を通じて入線する京成系列の各線もこれに合わせ改軌したことから、仲間がやっと増えました。

 しかし、京急も色々なこだわりがある鉄道会社で、他社と一線を画す政策を取った時代があり、片開き4ドアなど、京急だけのものでした。流石に現在は両開きですが、それが「京急らしさ」と言うべきものなのでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#12

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 それでは、今回は九州最終回です。

 旅の終わりは、門司港レトロ、EF30 1です(写真)。日本初の交直両用機関車ですが、関門トンネル内が主な仕事、交流区間では入換等の小運転しか考えられていないため、格段に力が落ちるとされます。ボディは海水の塩分への耐蝕性からステンレス製、量産機はコルゲート板が外板に用いられますが、これは平板で、試作も兼ねています。窓は、貫通路は鉄板、それ以外は半透明のプラ板で塞がれ、同機の状態がよく分かります。

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 前側の台車(写真)。DT117とされます。少々古めかしい台車です。軸箱支持はウイングバネペデスタル式で、これはこの時代の車両の特徴です。ステップは、車体に設けられています。

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 中間台車(写真)。DT118とされます。カーブでは車体中央がレールから大きく外れることから、中間台車はそれを補正する装置が必要で、それが装備されています。その装備は三菱重工が開発したらしく、そのためEF30は三菱製が多いようです。

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 後側の台車(写真)。これもDT117です。

 後にEF81 300番代が4両投入されましたが、一時そのうち2輌は他区に転出、永く関門の守り神でしたが、国鉄末期にEF81 300番代の復帰、及び0番代改造の400番代投入で全機引退、全体で残る機体はこれと横川しか思いつきません。九州鉄道記念館も、前頭部だけですし。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#11

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 それでは、今回も引き続き、九州の写真をお届けします。

 写真は、門司港レトロのオハフ33 488です(写真、再掲)。今回は、その下回りを見ていきます。

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 編成後側の台車(写真)。軸バネペデスタル式の軸箱支持、心皿には板バネが渡り、台車下側から車体を支えています。形式は、TR23とされます。

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 前側の台車(写真)。ほぼ同じ、TR23です。軸箱下側にも梁が渡っているのが特徴というべきか。

 戦前形の半鋼製客車、ほとんどは解体されているでしょうから、貴重な生き証人になっています。今後とも、十分に手入れして保存して欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#10

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 それでは、今回も引き続き、九州の写真をお届けします。

 写真は、オハフ33 488(写真)。一般形の旧式客車です。

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 中に、入れます。デッキの様子(写真)。ドアはあったのか、不明です。床は木材で、半鋼製なのが分かります。

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 緩急室は、立入禁止で入れませんが、その手前までは入れます(写真)。木目がニスで鈍く光っています。

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 客室(写真)。一部座席を撤去して、供食施設となっていますが、残った座席も半鋼製で、良い感じの色を出しています。

 多くの旧客は解体され現存しませんが、古き良き時代の名残が、今後も伝承されるといいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#9

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 それでは、今回も引き続き、九州の写真からお届けします。

 今回は、南阿蘇鉄道の終点であり心臓部である、高森にて保存される、C12 241(写真)。しっかり門鉄式切り取りデフ(門デフ)が装備されています。

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 足回り(写真)。1C1のプレーリーですので、中間の第二動輪が主動輪で、いずれもスポーク車輪です。軽量型のタンク機ですので、何れも小型ですが、でもワルシャート式の弁装置は同じです。しかし、そう考えると、逆転機の仕組みは、本当に不思議です。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#8

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 それでは、今回も引き続き九州の写真をお届けします。

 写真は、国鉄高千穂線、後の高千穂鉄道(廃止)、高千穂橋梁です(写真)。現役当時は、日本で一番高い橋梁でした。

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 周辺を入れた、状況(写真)。谷底まで約100メートルの高さがあり、それが日本一でした。その後同鉄道廃止によりその地位は南阿蘇鉄道白川第一橋梁に取って代わられましたが、現在同橋梁は通行出来ず、どうなっているでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#7

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 それでは、今回も引き続き、九州の写真をお届けします。

 写真は、延岡駅貨物ホームに停まる、ED76 1020(写真)。20系客車や10000系コンテナ貨車を牽くための装備が追加された1000番代、恐らくP形ですが、同機は20系用連絡ジャンパ栓は廃された車両とされます。現在は必要ない装備となり、一般形0番代と混用されます。JR貨物門司機関区所属です。

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 「1」の表示がある1位側、台車はDT129Cです(写真)。ステップが組み込まれます。

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 ED76が九州でこれだけ多く使用されたのは、ED75とは異なりSGを搭載し、それで伸びた車体と増えた重量に対応し、中間台車が設けられたこと(写真)。形式名はTR103Dで、TR103Aを装備したED76初期形と異なり、基礎ブレーキの装備、軸重調整重量の範囲拡大となり、入線可能な線区が広くなっています。ED75はこれが無いので、SGが無いとはいえ軸重が重く、九州用300番代もありましたが、早期に引退しています。また、速度計もここに装備されます。

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 右に「2」の表記が見える2位側(写真)。台車はDT129Dで、反対側にステップが設けられています。

 ED76としても最終期に製造された同機ですが、デビューから相当期間経ち、またEF81も日本海縦貫線から多数移籍しており、今後の動向が注目されます。しかし、最近検車したカマもあるとのことで、将来計画は不明です。JR九州では全廃となっており、頑張って欲しいとは思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#6

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 それでは、今回も引き続き、九州の写真をお届けしたいと思います。

 写真は、日豊本線宗太郎駅です(写真)。日豊本線でも最も輸送密度が低い区間です。無料高速も通れるところ、国道から脇道に入り、集落に入ったところで、車を停めるには苦労しました。

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 跨線橋(写真)。昼間は通過列車も高速ですので、設けられたものと思われます。バリアフリーには対応していません。

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 駅ホーム(写真)。対向式2面2線の構造、列車交換が可能です。

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 駅の、時刻表(写真)。6時台に佐伯行きと延岡行き、20時に佐伯行きの3本のみで、何れも特急列車の車両送り込みを兼ねた運転です。この時刻表を見ると、この区間のローカル輸送における、鉄道の敗北を感じます。これでは、行って帰って来れません。

 2,3時間に1本の大分と宮崎を結ぶ特急「にちりん」、及び1日2往復の延岡、南延岡行きの貨物列車は通りますが、この区間普通列車はその用途の車両自体が無く、特急車の送り込みで代用しています。今後、同駅が信号場に格下げになることは十分に考えられ、動向は注目されます。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#5

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 それでは、今回も引き続き、九州の写真をお届けします。

 大分県玖珠町にある、旧豊後森機関区の、扇形庫(写真)。かつて菊池を目指した国鉄宮原線(廃止)の分岐点も近く、構内も広い一大機関区だったようですが、現在は構内は芝生に変わり、塒とするSLも無くなり、廃墟となっていましたが、最近注目されるようになりました。しかし、扇形庫は老朽化で危険なため立入禁止です。

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 その中心は、転車台です(写真)。上路式の転車台、現役ならSL展示施設としてうってつけであったでしょうが、廃止され永く時も経ち、動かすことは困難でしょう。

 やはり大都市からのアクセスが難しく、高速道路が並行し、鉄道には厳しい条件です。車の方がアクセスが簡単なのも、悩ましいところです。下車して撮っている時間も考えにくく、結果易きに流れます。まあ、現在まで残ったことをもって、よしとするしかありません。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう側#4

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 それでは、引き続き九州の写真からお届けします。

 写真は京都郡苅田町の小学校にて保存される、入換用SL(写真)。正確には元「豊国セメント」No.5という名の日立製SL、先輪、後輪が無く、動輪3軸の「シックスホイールカップルド」で、旧来の輸入SLに範を取った感じのSLです。引退後、寄付されました。

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 階段は設けられていますが、状況から立ち入りは禁止されています。そのため、キャブを外から眺めます(写真)。完全なオープンキャブですが、見た感じ一般的なキャブのような気がします。

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 足回り(写真)。先輪も、後輪も無く、動輪3つが連結棒で繋がれ、左右ともそうなので、「シックスホイール・カップルド」なのです。他はワルシャート式の装置といい、国鉄制式機と大差はありません。国産機ですし。

 この写真は、学校の許可を得て撮影しました。同小学校には、時々撮影したいという申し出があるとのことを、校長先生か、教頭先生に聞きました。これも、産業遺産なのですが。

 それでは、次回をお楽しみに。