Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

山陽道#4

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 それでは、今日も山陽地区のSLを紹介したいと思います。

 山口市内の市施設内に保存される、D60 1(写真)。種車のナンバーは知りませんが、ミカド配置のD50を、軸重軽減のためバークシャーに改造したSLの、初号機です。

 そのためにD50はオリジナル機が少なく、保存は京都の140号機、他は北見くらいしか思いつきません。

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 同機のキャブ(写真)。釜口は足踏み式、他一般的な国産機です。ただ、長い保存でペイントロックし、ガラスはダメなようです。公開の敷地での保存では、これが限界のようです。

 D50に対するD60、D52に対するD62は相当数ありますが、D51改造のD61は6両のみで、9600形の代替を期待されたようですが、必要なときにはD51も必要で改造出来ず、余裕が出来たときにはSL時代は終焉に近く、結果少数のみとなりました。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#3

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 それでは、今日も引き続き山陽の保存機をお届けしたいと思います。

 山口市新山口(小郡)も近い市施設内にあるのは、D51 813(写真)。準戦時形、工作が簡略化された時期ですが、屋根ドームがカマボコ形にはなっていません。

 ただ、真鍮は美しくなくなったのか、黄色のペンキが塗られます。

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 キャブ(写真)。大型のボイラですので、足踏み式の釜口、他オープンスペースの保存機としては状態は良いと思われます。

 ボイラの釜口が開いていると、子供が入って遊び、体が挟まったりする危険性があります。そうならば確実に解体でしょうから、注意が必要です。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#2

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 それでは、今日も、山陽地区のSLをお届けします。

 宇部市の公園に保存される、D51 18(写真)。半流形、別名「ナメクジ」で、真鍮の色を除けばまあまあです。

 夜間は閉鎖される公園であることから、状態は良いようです。

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 キャブ(写真)。ナメクジで入れるのは同機のみと記憶します。ガラスも割れず、状況は良いようです。

 やはり、心ない人も多いので、時々には補修が必要です。その辺はこのカマは行き届いている感じがします。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#1

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 それでは、今日からは、山陽地区のSLをお届けしたいと思います。

 写真は、C56 36、美祢市の市施設にて保存されます(写真)。

 すぐ側には、美祢線大嶺支線(廃止)の「大嶺」の駅名標も移設され、往時を偲んでいます。

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 キャブ(写真)。一般的なもので、釜口は足踏み式で両側に開くタイプ、流石はD51の弟分と呼ばれるだけあります。ただ、動輪は大きいです。

 美祢線の線路等級、勾配、列車重量から考え、C58があるのは納得します。

 周辺は、現役の貨物側線が張り巡らされ、それを追うだけでも楽しみは尽きません。レールがあるうちに行くことをお薦めします。

 それでは、次回をお楽しみに。

引退の日

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 それでは、今日は、名鉄瀬戸線赤い電車をお届けしたいと思います。

 名鉄本線の旧式車代替車6000系デビューと合わせ、更に瀬戸線の栄町乗り入れに合わせ、新造された系列が、6600系です。性能的にはほぼ同じ、しかし地下線対応で当時のA-A基準等を満たす車両となり、スカートを装備、またセミクロスシート、非冷房のため窓が開くなど、詳細で異なっています。当初は2連で使用されましたが、4連化で2+2連となり、時々に組成が代わり、注目されました。

 しかし後継4000系の充足で、6600系は引退、最期の引退イベントに当選し、参加しました。左6704、右6701です(写真)。

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 接合部(写真)。左6701、右6604です。両側から幌を出し、二重になっています。

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 6701の運転台(写真)。使用可能なようでしたが、あまり使われていません。

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 助士席(写真)。立入可能でした。

 6600系分割の、最後の動画です。なおこれは、2万7千アクセスの動画です。

 6750もそうですが、永く喜多山検車区で整備していた都合で、2連で運転出来る必要がありましたが、尾張旭検車区の落成で喜多山検車区が廃止となり、現在高架化が進められています。また尾張旭検車区は塗装工程が無く、ステンレス車4000系のみの整備が考えられ、赤い電車の最期は、非常に見苦しい姿ではありました。正に、「お疲れさま」でした。

 今後一般形は3300系や3150系、(新)5000系のようなステンレス車体が増えつつありますが、特急車はアルミ塗装車で、瀬戸線では全車引退した6000系も健在、まだまだ「スカーレットの王国」は無くなりそうにありません。今後の動向も、注視していきたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

新旧対照#2

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 それでは、今日は、豊橋鉄道の「新」の顔をご紹介します。

 豊鉄市内線の最新型「ほっとラム」、T1001です(写真)。3車体式のLRT、低床車です。昨日の3201と向き合う形に停まります。

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 運転席(写真)。右手ワンハンドルマスコン、計器を中心に、左右にモニター、停車ボタン表示器などがあります。

 車軸という固定観念に捉えられている間は、低床車の仕組みは分かりませんが、実際に輸入し、実物を見れば「なーんだ!」という構造でした。それには、特に特許等も無いようです。今後、国産化も進むでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

新旧対照#1

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 それでは、今日は、豊橋鉄道の車両を紹介していきたいと思います。

 写真は、豊鉄モ3201です(写真)。元は名鉄モ581、第二の人生です。

 初めて市内線の電車を見たときには、派手に車体全面広告を出す姿に驚いたものですが、今では何処の鉄道会社でもやっていること、違和感はありません。

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 その、運転台(写真)。大型のマスコンに、路面電車用の装備が目立ちます。エアブレーキは装備され、ハンドブレーキではありません。

 今後、ゆっくりながら低床車が増えると、これらの車両の行く末が心配ですが、運動公園行きのカーブがある限り安泰か。どうなるのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

南方帰り

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 それでは、今日は、C56 44のキャブを紹介したいと思います。

 C56は、南方戦線の輸送用に、1号機から90号機まで徴用され、出征、ほとんどが現地で果てたとされますが、奇跡的に2両が生き残っており、1両が42番とされ靖国神社に静態保存、もう1両が44番とされ、大井川で現在も活躍します(写真)。つまり、これは南方帰りのカマなのです。

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 機関士側(写真)。国内の機関車とほぼ同様、違和感を感じません。

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 助士側(写真)。運転台からランボードに上がる、運転席前方のドアに気付きます。これは、国内ではあまり見ない構造です。寒冷地では、すきま風対策の一番です。

 彼の地で無念の最期を遂げたC56たちは、南方で無念の最期を遂げた多くの若者たちと姿が重なります。あんな事は、してはいけません。

 それでは、次回をお楽しみに。

最新

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 それでは、今回は、大井川鐵道新金谷からお届けします。

 永く転車台は千頭のみで、帰りのSLはバック運転であった、大井川鐵道。そこで、新金谷に念願の転車台を建設し、帰りも前向きでの運転が可能となりました。

 普通に、横から(写真)。「トラストトレイン」C12 164が停まります。

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 このイベントのために、下に降りる階段が用意されます(写真)。

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 下に降りた眺め(写真)。停目どおりに停まっています。

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 端の部分(写真)。車輪が、円形に敷かれたレールに載っています。

 現在は、転車台を専門に造るメーカーも無いことから、余剰となった橋桁を改造し、この転車台を建設しました。自社製と思われます。そのため、これは貴重です。大井川鐵道に乗るときには、気にしてみて下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。

Alive#2

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 それでは、今日は、昨日に引き続き、南部縦貫のイベントからお届けしたいと思います。

 写真は、もう1両の「レールバス」、キハ101です(写真)。末期は2両、1運用の体制であったようです。

 なお、このイベント当時は、キハ102同様に動態で、展示走行も可能でした。

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 車内(写真)。キハ102同様に機械式の気動車、設備は簡易で冷房は無く、少し時代がかっている車両です。しかし、この車両が動態であること自体、奇跡的なことです。

 南部縦貫鉄道は、現在は社名を「南部縦貫」に変え、七戸で営業しています。電車では行けず、バスに乗る必要があり、自家用内燃機関が欲しくなりますが、機会があれば是非行かれると良いと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。