Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

Alive#1

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 それでは、今回は、「南部縦貫鉄道」(廃止)の、イベントからお届けします。

 廃止直前まで走った、レールバスの1両、キハ102(写真)。現在も動態保存で動くはずです。

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 客室(写真)。ビニールレザーのロングシート、少々古さが目立ちます。増して、冷房はありません。

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 運転台(写真)。ギア切り替え時にクラッチを踏んで切り替える、典型的な機械式ディーゼルカーですが、現在は再び機械式に回帰しつつあります(液体式と併用、自動進段式です)。

 イベント時のみに姿を見せますが、現在も整備している方々には頭が下がる思いがします。

 それでは、次回をお楽しみに。

やまぶき

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 それでは、今日は、伊豆箱根鉄道大雄山線大雄山でのイベントからお届けします。

 写真は、コデ165、黄色の事業用電車で、駿豆線大場工場から甲種輸送された車両を、線内で牽引する電車です。

 旧式の電車をベースに、事業用に改造されています。

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 車内(写真)。シートや扇風機など、接客設備そのままに、車内に剥き出しで機械が置かれ、事業用であるのが分かります。

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 運転台(写真)。簡易な設計の運転台に、速度計等の追加があります。これらは現在は必要なのでしょう。

 これらは大雄山でイベントが無いと見ることも出来ず、大場とは別の時期に行うので、狙って行く必要があります。次回は、来春でしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

志摩#5

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 それでは、今日は伊勢志摩の最終回、サロンシート2題です。

 最初は、23000系「伊勢志摩ライナー」のサロンシート(写真)。1+1対面のカップルシートと、2+2対面のグループ、ファミリーシートの2つが並び、中間にテーブルを挟んだ固定クロスシートです。ただ、大型車体で2+1シートですから、余裕のある設計となっています。

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 続いて、50000系「しまかぜ」のサロンシート(写真)。乗客がいて中まで写せませんが、こちらはテーブルを挟み2+2か3+3のコンパートメントとなっています。

 なお、「しまかぜ」には、洋室と和室(座敷)のグループシートが各1室用意されます。こちらもどうぞ。

 それでは、次回をお楽しみに。

志摩#4

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 それでは、今日は、伊勢志摩からの帰り道、「しまかぜ」からお届けします。

 旅の楽しみの一つは、「食」、食べるのも旅行の一部です。そこで、「しまかぜ」のダイニングカーに行きました。

 先ずは、反対側から(写真)。非常出口はありますが、通常は通行が出来ません。

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 そして、カウンターへ(写真)。従業員の女性に、撮影に協力して貰いました。「しまかぜ」に乗ったら、是非食堂車へ。

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 ビスタカーⅣ世の検討の中で生まれた「しまかぜ」。客席はハイデッカーですが、食堂車はダブルデッカー、大型車体の特長を最大限に生かしています。1階席(写真)。2階があって1階なんて、とも思いますが、スピードを実感するには1階の方が良いです。写真のとおり、準個室の雰囲気です。

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 2階席は、お客が増え、注文の真っ最中でした(写真)。こちらも眺望は抜群です。

 週6日運転、毎日ではありません。機会があれば、是非乗車されることをお薦めします。

 それでは、次回をお楽しみに。

志摩#3

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 それでは、今回は、先回の帰り道、50000系「しまかぜ」乗車記です。

 式年遷宮、及び伊勢志摩サミットに合わせ製造された「しまかぜ」、恐らく「ビスタカーⅣ世」を製造する最後のチャンスでしたが、それに対する回答でした。

 当初2編成、後1編成が追加製造され、現在3編成が週6日運用に就きます。賢島駅昼下がりに、2編成は並びます(写真)。

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 座席(写真)。ハイデッカー、大型車体に2+1列の本革シートで、マッサージャーも付き贅沢な車両です。

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 運転台(写真)。ガラス張りで丸見え、前方の眺望も良いです。

 構造を見れば分かると思いますが、一枚曲面ガラスに出来なかったのは、恐らく難波トンネル対策で貫通路が必要で、その設定のために多分割ガラスになったものと思われます。中央の窓がそうです。

 それでは、次回をお楽しみに。

志摩#2

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 それでは、引き続き、「伊勢志摩ライナー」からお届けします。

 中間に「Sea Side Cafe」と書かれた場所があります(写真)。

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 そこにはカウンターがあり、人一人が立てるほどのスペースがあり、冷蔵庫等が開けられる構造になっています(写真)。

 デビュー当時はここに女性従業員が立ち、飲食物や記念グッズを売っていた記憶がありますが、デビューから随分時間も経ち、リニューアルを迎えましたが、施設はそのまま残っています。復活の時はあるのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

志摩#1

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 それでは、今日からは近鉄、伊勢志摩を巡る特急列車をお届けしたいと思います。

 21020系「アーバンライナーネクスト」登場まで、近鉄最新で、かつ最強出力の特急は、23000系「伊勢志摩ライナー」でした。サミット、及び50000系「しまかぜ」登場に伴うリニューアルで、全6編成のうち3編成が、従来の黄色から赤に塗色変更、「伊勢海老ライナー」なる渾名もあります。その日に、乗車を試みました。

 近鉄名古屋駅には、赤の「伊勢志摩ライナー」が据え付けられます(写真)。

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 運転席全景(写真)。ガラスで仕切られ、後にはステンレス棒で出来た、かぶりつきシートがあります。

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 インパネ(写真)。逆転機を合わせ、3ハンドルです。

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 運転席上部(写真)。遮光のパネルが3つ付いています。

 全室運転台で、貫通路も無いため、このような余裕のある運転席となっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

特殊装備

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 それでは、今日は、JRの、碓氷峠ネタをお届けします。

 JR東日本大宮車両センターには、写真のとおりEF63 13のカットモデルが保存されます(写真)。長野オリンピック前年の平成9年9月末で廃止になった、信越本線横川~軽井沢間の補機専用機として、長く使われた機関車です。

 同区間廃止後、転用出来ない急勾配用重量大型機関車であったため、全機廃車となり、一部が「碓氷峠鉄道文化むら」にて動態保存されます。

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 保存されるのは当然こちら側、電車と連結する側、則ち山側です(写真)。左側には系列毎に異なるジャンパ栓の連結器があり、蓋に色と系列名のペイントで区別され、相手毎に間違えないようになっています。中には「キハ82」や「キハ57」、気動車の継電式重連総括用ジャンパ栓があり、勿論169系(協調運転用、189系、489系もこれと思われる)や115系(信号のみ)もあります。

 また、連結器は機関車や客車、貨車、気動車及び電車の何れとも連結出来るよう、自動連結器と密着連結器双方に対応する「双頭連結器」になっています。エアホースも、何本もあります。

 何れも間違いなく繋ぐ必要があるので、横川と軽井沢での連結は、的確にかつ正確に行われました。

 廃止から20年、本当に昔のこととなってしまいました。復活の可能性は、使用された車両が全部引退しており、もう1%も無いようです。

 それでは、次回をお楽しみに。

借り物#4

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 それでは、今回は、近鉄名古屋線木曽三川橋梁関連の、最終回です。

 昨日の場所の少し西、長良川の堤防に近い場所に、写真のような橋台跡が残ります(写真)。コンクリートで固められますが、中からは煉瓦積みが見えており、明治期の煉瓦構造物であるのが分かります。

 この向こう側が現在の揖斐・長良川橋梁、その昔の橋台になります。元は関西本線、遡れば明治期の私鉄、関西鉄道に行き着きます。

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 反対側も期待されますが、残念ながら現在は、築堤も含め跡形無く、痕跡も堤防の補強で残っていません(写真)。また、橋脚跡も河川に標識も無く、ほぼ痕跡はありません。

 それから半世紀も経ち、痕跡は無くなりつつありますが、未だ少数残っています。探訪は、如何でしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

借り物#3

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 それでは、今回も引き続き、近鉄名古屋線木曽三川橋梁関連をお届けします。

 桑名市、旧長島町を西に移動、間もなく長良川という場所に、写真のような小さな橋梁があり、その南側には単線の橋台の跡が残ります(写真)。これは名古屋線の旧線跡、旧橋梁のようです。なお、この位置を旧来の関西本線が、明治期の「関西鉄道」の頃、通っていたと思われます。

 そして、もう少しで長良川、「揖斐・長良川橋梁」に、差しかかります。

 それでは、次回をお楽しみに。