Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

引退後の余生

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 それでは、今日は若桜鉄道「隼」から、旧式電機をお届けします。

 写真は、ED301です(写真)。元北陸鉄道の電機、引退後かなり時間が経ってから、同駅にやって来ました。雪国用、旋回窓が特徴です。

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 その、運転台(写真)。一般的な旧式電機ですが、インパネの計器が少なく、少し古い電機であることが分かります。しかし、左ブレーキ、右マスコンは同じで、非自動進段式のようです。

 北陸鉄道鶴来車庫では引退後、だんだん隅に寄っていきましたが、静態保存とはいえ、余生を過ごす場所が出来たことは良いことです。永く、保存されると良いですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

上等席

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 それでは、今回は、永く続いた「小樽総合博物館」ネタの最終回です。

 写真は、1等車が緑帯となったグリーン車、キロ26 107です(写真)。キロ28に準じ、北海道仕様になっています。

 後に、車体の等級帯は廃止され、この緑帯は、その復元となっています。

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 車内(写真)。昭和40年代風のリクライニングシートが並びます。車内はシアターであったらしく、古い大型テレビが置かれます。床は流石に木材では無く、リノリウム張りになっています。

 注目は天井で、分散型クーラーが装備されています。

 1等車、則ちグリーン車は贅沢ですが、当時はこのようであったことがわかります。現在の特急普通車と、ほぼ同じです。

 それでは、次回をお楽しみに。

酷寒冷地仕様

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 それでは、今日も引き続き「小樽総合博物館」ネタをお届けしたいと思います。

 同館の一番南西部を通る線路は、展示車両が多数です。写真は、キハ56 23、キハ58系に分類されますが、北海道仕様であることから、内地の車両と異なり、形式が別とされています。窓下にナンバーが入り、北海道の車両であると分かります。

 ドアが開いているので、中に入ります。

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 運転台(写真)。正面窓に電気式デフロスタが入り、旋回窓ほどではありませんが、寒冷地の仕様です。

 その他は、キハ58系に準じています。

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 車内(写真)。先ず違いが気付くのは、床です。リノリウム張りでは無く、木製です。また、窓は二重窓で、酷寒地用であることが分かります。

 今でこそ大差ありませんが、それまでの北海道は、何もかもが特殊仕様であったことが分かります。それ程までに、北海道の冬は大変なのです。

 それでは、次回をお楽しみに。

これも無理です

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 それでは、今回も引き続き「小樽総合博物館」ネタをお届けしたいと思います。

 写真は、転車台、手宮口側のものです(写真)。「アイアンホース号」の折り返しのための施設であり、鉄道博物館時代に設置されたものと思われます。

 本館側の下路式に対しこちらは上路式、どこか廃線から持ってきたような施設ですが、残ったことは良いことです。ただ、ここも今頃は雪の中、見学は多分不可能です。春が待ち遠しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

今は見られません

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 それでは、今日も引き続き「小樽総合博物館」からお届けしたいと思います。

 写真は、転車台、本館に近い側のものです(写真)。現在も、アメリカ・ポーター社製のSL「アイアンホース」号が使用します。

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 その回りには、扇形庫があります。写真は、北側の三号扇形庫(写真)。除雪用のマックレー車ロータリー車(テンダ無し)、レールバス、国産最古級のSL「大勝号」が入っています。

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 ジョルダン車2両を挟んだ先には、一号扇形庫があります(写真)。アイアンホース号のねぐらでもあります。

 転車台はともかく、扇形庫は2つとも歴史的建造物で、重要文化財に指定されています。明治期に北海道で最初に開通した「手宮線」の遺構でもあり、歴史的価値があります。ただ、現在は雪の中で、春の雪解けまで見学が出来ません。残念でした。

 それでは、次回をお楽しみに。

道外禁止

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 それでは、今日も引き続き「小樽総合博物館」ネタをお届けします。

 今日は、ED76 509です(写真)。北海道用の電機、サイリスタ制御の本格採用となりましたが、運炭列車を牽引する計画が中止となり、満足な活躍もせず引退しました。

 特徴は、ED76でありながら貫通路があり重連対応、また屋根の汽笛以外に後付けのようなタイフォンが装備されます。

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 運転台(写真)。左ブレーキ右マスコンは通常で、ED75とほぼ同様の割り付けと思われます。

 青函用に改造されたED76 551を撮りたかったですが、残念、現存しません。

 それでは、次回をお楽しみに。

本物

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 それでは、今回も「小樽総合博物館」ネタをお届けしたいと思います。

 写真の車両は、スユニ50 501です(写真)。足回り等を旧式車から再用し、車体を50系客車に準じ新製した車両です。しかし製造後間もなく郵便荷物輸送が廃止され、大量に廃車されることとなります。

 本州用は電気暖房対応で+2000されますが、北海道用はそうではなく、一般客車の北海道用と同じく500番代で、その初号です。

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 両端はオハフ50、オハフ51同様緩急車の設備があり、少し見えています。そして、手前は荷物室です(写真)。車体の床は普通の板張り、木製スノコが載せられます。

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 そして、トイレと喫煙室で、郵便室と仕切られます(写真)。

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 中間の、郵便仕分け室(写真)。列車の車内で仕分けをするのですが、今では人形を置かないと分からない、そういう設備となっています。

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 そして、荷物室同様大きな手動扉で搬入する、郵袋室(写真)。ここに郵袋が持ち込まれ、ここから仕分けに入れられます。

 今では、説明が必要なほど分からない設備となっています。時代ですが、それだけ道路網が発達したということでもあります。何故多くの中央郵便局は駅前なのか、それも同じ理由、今では分かりにくくなっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

現金輸送車

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 それでは、今日も引き続き、小樽総合博物館からお届けしたいと思います。

 写真は、マニ50のようですが、何か違う。そうです、マニ30 2012です(写真)。日銀の現金輸送用の客車、犯罪に備え運用も極秘で、外観も出来るだけマニ50に似せて造られています。

 現金輸送が自動車となったことから運用は廃止され、現存は小樽のこの1両のみです。

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 荷物室に相当する部分には、現金が積まれ、番号と位置が書かれています(写真)。

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 反対側も、位置が書かれています(写真)。

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 その奥は、トイレと喫煙席、その奥はレール方向の2段寝台、A寝台に相当するサイズの寝台です(写真)。天井にはクーラーも装備され、2000番代は電気暖房の車両、空調は完備しています。

 知らぬ間に登場し、知らぬ間に消えていった車両で、実感も沸きませんが、貴重な車両であることは分かります。現存もこれだけですので、永く残って欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

白鳥形

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 それでは、今日は、北海道と縁の深い車両をお届けします。

 その車両は、キハ82 1です(写真)。キハ81「はつかり」の量産型、最初に使われた列車が大阪~直江津~新潟~青森間、及び付属編成が大阪~直江津~長野~上野を結んだ特急「白鳥」であったことから、「白鳥形」と呼ばれる特急車、後に勾配線区を除き、北海道から九州まで、幅広く活躍した車両です。

 現在は小樽総合博物館にて展示されます(写真)。函館~長万部~小樽~札幌を結んだ特急「北海」を掲出します。

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 運転士席(写真)。中央の仕切りが目立ちます。

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 助士席(写真)。登場当時は2人乗務が通常でした。

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 中央部からの眺め(写真)。中間となる時には、仕切りで運転台等を閉鎖出来る構造になっています。

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 座席(写真)。当時の特急2等車の標準、回転クロスシートです。

 北海道では、昭和60年代までにキハ183系に置き換えられましたが、JR東海管内では平成まで使用され、特急「ひだ」や特急「南紀」で使用されましたが、特急「南紀」での活躍を最後に、全車引退、現在は静態保存車両のみです。

 それでは、次回をお楽しみに。

生き残り

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 それでは、今日は、糸魚川気動車をお届けします。

 大糸線JR西日本区間は、大糸北線とでも呼ぶべき状況で、現在はキハ120が使用されますが、以前は3両のキハ52が使用されました。置き換え後津山に1両、いすみ鉄道に1両行き、残りキハ52 156は、長く松任で保存されましたが、現在は北陸新幹線糸魚川駅高架下の施設にて、静態保存されます(写真)。

 現役当時は、いわゆる「首都圏色」、朱色で一面塗られていましたが、現在は朱のツートンの、一般的な国鉄色塗装になりました。結局3両ともこの色です。

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 同車の運転台(写真)。一般的ですが、キーで変速段、直結1段、2段を切り替えます。それは、確かに電車より手間で、直接式であった頃並みです。

 引退後、海外に輸出されたりしましたが、国内に残ったのは良いことです。永く大切にして欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。