山陰で最初に開業した「山陰本線」は、倉吉から外れ、町外れを通りました、後に市街地に連絡する「倉吉線」が建設されましたが、現在は廃止されています。その、記念館が廃線跡近くにあります。
写真は、屋外に静態保存されるC11 75(写真)。簡易線では無かったことが分かります。
その、キャブ(写真)。火格子が小さいのか、通常は左手でチェーンを引き上げ、右手のスコップで焚く、小型のボイラです。機関士位置は、日本の通常形、左側です。状態は、良いようです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日も「明治村」から、最終回です。
尾西鉄道1号SLの後は、橋になっており、これも明治の橋で、東海道本線旧六郷川橋梁の1連です(写真)。複線用の鉄橋、構造的にはポニーワーレントラス橋です。
複線用橋梁として落成も、同区間の複々線化によって移転し、単線として使用も、これも用途廃止となったところを、明治村に移設、複線用に復元、片側は当時のレールを敷いています(もう片側は歩行用通路です)。
トラス部の、銘板(写真)。「ハミルトン・ウィンザー・アイアンワークス」(イギリス)1875年製です。
SLの時代はこれで十分でしたが、電化を考えると、ポニーワーレントラス橋は架線支持物を別途設ける必要があり、その辺が手間で、あまり電化区間では見かけません。JRなら淀川橋梁の一部か、他は近江鉄道か、その程度です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日も引き続き「明治村」からお届けしたいと思います。
写真の建物は、「東京駅前警備巡査派出所」で、いわゆる「交番」、東京駅前にあったようです(写真)。東京駅の赤レンガとコーディネートされた赤煉瓦の建物で、意匠も復元された東京駅と一致しています。東京駅同様、ハイカラな建物です。
基本的に明治村の建物は、歴史的価値があるものの、当時不要となり、建て替えなどで消滅の危機にあった名建築たちであり、それが部分ながら残ったのは、「明治村」を思いついた当時の名鉄社長の才覚でしょう。まだ「産業遺産」などという発想も無く、普通の家の写真集が当たり前のように売られる欧米ほどでも無く、正に先見の明があったと言えます。でなければ残らなかったものばかりで、その価値は今更に増しています。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日も引き続き、「明治村」からお届けしたいと思います。
写真は、デ22、名鉄の初号車と同形です(写真)。木製の電車で、札幌市交通記念館にて保存されていたものを、期間限定で借用しています。
名鉄の母体となる会社は、名古屋駅と中心街の「栄」を結ぶ電気軌道が始まりで、その開業から120周年となることから、譲渡先の札幌市から借用しているものです。
運転台(写真)。直接式のマスコンに、回転式ハンドブレーキで、確かにこの装備の電車では、長編成で動くとは考えられません。技術は、進歩しました。
元はこの場所は、現在は「リニア・鉄道館」にて保存される、元関西鉄道の蒸気動車があった場所でしたが、移転後、新たなガラスの折戸式シャッター付きの施設を設置し、万全の態勢で保管されます。
それでは、次回をお楽しみに。