Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

陰陽道#3

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 それでは、今日は、浜田市にて保存される、C57をお届けします。

 公園の片隅に、C57 165が保存されます(写真)。山陰本線も、ライトパシフィックの多い線区でした。。

 なお、C55設計前のC54は、末期には全機浜田機関区に集結したといいますが、無理な設計が祟り、「欠陥機」との意見もあります。そのため、少数製造のみでC55に改設計されたとされます。確かに、「54」は、祟っています。

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 このような状態ながら、キャブはそこそこの状態で維持されています(写真)。水面系もガラスが割れておらず(プラ板を入れたのか?)、ペイントロックしていることを除けば、真鍮部品も金色で、見られる状態です。

 状態が悪くなると、こういった部品も割れ、保存に耐えられず、危険となり解体、というのが一般的です。危険になった時点で、終わりでした。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#2

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 それでは、今日も引き続き、「倉吉線記念館」からお届けします。

 写真は、同館内に静態保存される、1020です(写真)。5t級のモータ-カー、入換動車として使われたのでしょう。

 屋内のため、スピード不足となり、外のまま絞っていると、ブレます。シャッター優先ならその心配は無いですが、絞り優先だと悲惨です。

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 その、運転台(写真)。2人掛けベンチシートに、機械式の変速装置、小型の内燃動車としては標準的な設計です。状態良く残り、廃止の残念さを表しています。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#1

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 それでは、今日は、倉吉市倉吉線記念館」からお届けします。

 山陰で最初に開業した「山陰本線」は、倉吉から外れ、町外れを通りました、後に市街地に連絡する「倉吉線」が建設されましたが、現在は廃止されています。その、記念館が廃線跡近くにあります。

 写真は、屋外に静態保存されるC11 75(写真)。簡易線では無かったことが分かります。

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 その、キャブ(写真)。火格子が小さいのか、通常は左手でチェーンを引き上げ、右手のスコップで焚く、小型のボイラです。機関士位置は、日本の通常形、左側です。状態は、良いようです。

 それでは、次回をお楽しみに。

威厳#2

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 それでは、今回は、先回に引き続き出雲大社関連をお届けします。

 写真は、「バタ電」一畑電車の、「出雲大社前」駅舎です(写真)。国鉄・JR大社駅とは対照的な、擬洋風建築で、「薔薇窓」、ステンドグラスも入ります。建設当初はかなりハイカラな建物だったのでしょう。

 一時は一畑電鉄の経営状態もあり、手入れが行き届かない時代もあったように記憶しますが、現在は再び美しい姿を取り戻しています。このまま、美しい姿を維持して欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

威厳#1

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 それでは、今回は、出雲大社関連の写真を載せたいと思います。

 写真は、JR大社線(廃止)の終点であった、JR大社駅旧駅舎(写真)。寺社風の風格ある立派な建築物で、正に出雲大社の玄関口として建設された、威厳のある駅です。

 建物の中も営業当時に近く維持され、これだけの立派な木造建築は、手入れを怠ることが出来ず、並々ならぬ思いで保存されているようです。ただ、鉄道手荷物は現在はありません。

 私の写真の中でも、初の低倍率高性能標準ズーム(大三元)を使った、記念すべき一枚です。高画素機に見合うレンズとなっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

明治の思い出#8

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 それでは、今日も「明治村」から、最終回です。

 尾西鉄道1号SLの後は、橋になっており、これも明治の橋で、東海道本線旧六郷川橋梁の1連です(写真)。複線用の鉄橋、構造的にはポニーワーレントラス橋です。

 複線用橋梁として落成も、同区間複々線化によって移転し、単線として使用も、これも用途廃止となったところを、明治村に移設、複線用に復元、片側は当時のレールを敷いています(もう片側は歩行用通路です)。

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 トラス部の、銘板(写真)。「ハミルトン・ウィンザー・アイアンワークス」(イギリス)1875年製です。

 SLの時代はこれで十分でしたが、電化を考えると、ポニーワーレントラス橋は架線支持物を別途設ける必要があり、その辺が手間で、あまり電化区間では見かけません。JRなら淀川橋梁の一部か、他は近江鉄道か、その程度です。

 それでは、次回をお楽しみに。

明治の思い出#7

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 それでは、今日も引き続き、「明治村」からお届けしたいと思います。

 写真は、公式駐車場に近い北口前、「SL東京駅」の、転車台です(写真)。直径は小さいものとなっています。

 奥は整備庫で、12号及び9号SLの整備が行われますが、この当時は9号が大修繕中で、ここにはありませんでした。

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 転向(写真)。12号SLが、人力で回されます。タンク機ギリギリの大きさです。

 もう一方の終点、SL名古屋駅にも転車台があり、一行程毎に転向します。

 それでは、次回をお楽しみに。

明治の思い出#6

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 それでは、今回も引き続き「明治村」の施設をお届けします。

 名鉄が、自社の物件として保存したのが、「岩倉変電所」です(写真)。岩倉は、名鉄犬山線から、東一宮方面、小牧方面に分岐した主要駅で、今はそれらは廃止されていますが、現在も特急が停まる駅です。その分岐点に変電所が出来るのは、給電という考え方からも自然です。

 現役当時は変電機械があったようですが、移設時に「岩倉ホール」となり、イベント用施設になっているようですが、まだ一度もイベントに出くわしたことがありません。機会があれば、是非と思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

明治の思い出#5

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 それでは、今日も引き続き「明治村」からお届けしたいと思います。

 写真の建物は、「東京駅前警備巡査派出所」で、いわゆる「交番」、東京駅前にあったようです(写真)。東京駅の赤レンガとコーディネートされた赤煉瓦の建物で、意匠も復元された東京駅と一致しています。東京駅同様、ハイカラな建物です。

 基本的に明治村の建物は、歴史的価値があるものの、当時不要となり、建て替えなどで消滅の危機にあった名建築たちであり、それが部分ながら残ったのは、「明治村」を思いついた当時の名鉄社長の才覚でしょう。まだ「産業遺産」などという発想も無く、普通の家の写真集が当たり前のように売られる欧米ほどでも無く、正に先見の明があったと言えます。でなければ残らなかったものばかりで、その価値は今更に増しています。

 それでは、次回をお楽しみに。

明治の思い出#4

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 それでは、今回も引き続き愛知県犬山市の「明治村」からお届けしたいと思います。

 写真は、鉄道寮新橋工場(機械館)です(写真)。初期の車両整備工場、車両そのものの入口はありませんが、部品の整備などを行った、鉄骨製の建物です。

 また、中には鉄道関連を中心とした、旋盤等の機械が多数展示され、そのうちの一部は産業遺産になっていますが。このブログの範疇では無いのでカットします。まあ、明治村らしい建物と言えます。

 それでは、次回をお楽しみに。