Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

復活への道#4

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 それでは、今回は只見線関連、最終回をお届けします。

 写真は、只見駅近くの公営施設の駐車場にて保存される、C58 244の、テンダ(炭水車)(写真)。機関車の後に従う、動力源です。

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 その、前位側の台車(写真)。板台枠に、板バネの軸バネ、クラシックなものです。

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 後位側の台車(写真)。基本的には同じですが、どちらもベアリングが無い時代のもので、平軸受け、注油して潤滑を維持します。

 ベアリングの方が回転は安定しますが、異物が砂粒一つでも入れば、高速回転すると白煙が上がり、大事件となります。SL当時はスピードが知れていたので、それほど大きな話にはなりませんでしたが。

 それでは、次回をお楽しみに。

復活への道#3

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 それでは、今回も引き続き、只見関連の写真をお届けします。

 写真は、只見駅近くの公共施設駐車場にて保存される、C58 244(写真)。屋根囲いもあり、塗装も補修され、そこそこの状態です。

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 先輪からシリンダーまで(写真)。一番大事な部分です。

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 ダイヤモンドヘッドから主連棒、主動輪まで(写真)。この複雑な部品が、前後運動を回転運動に変換し、SLの動力となります。

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 主動輪から、第三動輪まで、連結棒で繋がれます(写真)。バランサーの違いにも注目です。

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 そして、従輪(写真)。重量分散には重要な部品です。

 1C1の軸配置であるC58は、「プレーリー」に分類されます。用途は客貨両用とされます。中規模路線にて使用された、万能のSLでした。

 C58はテンダ機関車、すると後に従えるテンダがありますが、それは次回以降で。

 それでは、次回をお楽しみに。

復活への道#2

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 それでは、今回も引き続き、只見線関連をお届けします。

 写真は、先回のトンネル出口にも近いところにある、恐らく旧「田子倉」駅跡でしょう(写真)。集落近くに設けられるはずの駅でしたが、ダムで集落は水没、結果利用客は激減、臨時駅となり、冬季通過、結果廃止となりました。末期には、年に1人利用するかどうかという所まで落ち込んでいました。

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 当時の遺構は、現在もシャッターの向こう側に確認出来、階段を降りると、1面1線のホームがあったようです(写真)。列車頻度、及び乗降客から、その位のようです。

 建設当時と異なる環境となり、結果登山客程度の利用しか無く、結果廃止となったのは残念ですが、経済的合理性から考え、それは仕方ありません。鉄道会社も、お客様があっての商売ですから。

 それでは、次回をお楽しみに。

復活への道#1

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 それでは、今回からは、只見線関連の写真を取り上げていきたいと思います。

 写真は、只見線の実現には必要であった、「六十里越トンネル」の、福島県側の坑口(写真)。正に六十里の長大トンネルで、新潟と福島の両方から建設された同線の正に中間点、最大の難関でした。

 現在この区間を走るのは3往復、只見行きで、福島側が災害で寸断されますが、復旧工事が再開され、数年後には全線運転再開となる予定です。それを楽しみに待ちたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#9

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 それでは、今回は、敦賀関連最終回をお届けします。

 写真は、昔の敦賀港駅、現在の敦賀オフレールステーションの片隅の、観光駐車場にある、ランプ小屋(写真)。明治期の煉瓦造りの油庫で、記念すべき建築物です。

 かつては、日本海への入口で、かつ北方への玄関口でもあった敦賀。東京でヨーロッパ行きの鉄道乗り継ぎ切符が買えたのも、敦賀からウラジオストックへの船便があり、そこからシベリア鉄道を経由してヨーロッパ連絡があったからです。正に、出発の港です。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#8

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連の写真をお届けします。

 写真は、キハ28 3019の、連結面(写真)。密着小型自連、ジャンパ栓、2本のエアホースとコック、他現役当時のままで、方転しても使えるよう両渡りになっています。

 顔を突き合わせたり、背面に繋いだりで、両渡りが必要な車両、当時の気動車の技術のレベルが分かります。全国で活躍していたのが、全車引退してどの位になるのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#7

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連の写真を見ていきたいと思います。

 写真は、キハ28 1019改め3019の、付随台車(写真)。TR51Bとされます。軸箱支持は国鉄伝統のウイングバネペデスタル式、枕バネはコイルバネになっています。この台車は、当時の一般形気動車共通のもので、急行形電車では使用される空気バネ台車に比べ見劣りがしますが、量産のため再検討の余地が無かったようです。

 本当に、北海道から九州まで、全国で見られた系列ですから、やむを得ない面もあったようです。まさか、キハ58系が、過去の車両になるとは、思いも及びませんでした。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#6

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連の写真を見ていきたいと思います。

 写真は、キハ28 1019改め3019の、冷房電源の発電機関(写真)。4VK機関とされます。冷房電源用に同機関が搭載されるため、番号が+2000されています。キハ58でも出来そうな気がしますが、キハ58は2エンジン車、駆動機関が2つで同機関を搭載する余裕が無く、結果量産型大出力機関搭載気動車、キハ65の開発へと繋がっています。

 タイ等に輸出されたキハ58系が、現在はトレーラーとされ、冷房も使用出来ないのは、冷房形で専用の運用が組めず、結果バラバラ、そのため宝の持ち腐れとなっています。あんな所で、暑くないのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#5

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連の写真を載せたいと思います。

 写真は、エンジンと動台車の間の部分(写真)。プロペラシャフトはありませんが、その軸受けと、動台車側の変速機が見えています。恐らく変速機TC2Aで、内燃動車のキモの部分です。その横には、ATS車上子も見えています。

 キハ58系の中古は、タイなどに輸出されたようですが、現在は機関を外しトレーラーで使用されるとのこと。勿体ない話ですが、それが彼の国の現状なのでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#4

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連の写真をお届けします。

 今回は、キハ28 1019改め3019の駆動機関、DMH17Hです(写真)。8気筒17リットルのディーゼル機関で、戦前設計のディーゼル機関を、横置きにする改設計はなされましたが、それ以外はあまり発展していない機関です。

 キハ58系改造ジョイフルトレインJR東日本で火災事故を起こしたとき、JR東日本の会長が、機関の設計図を見て、自分が設計していた時代と何ら変わりないと激怒して、キハ58系の置き換えが進むこととなりました。従前の一般形気動車と併結も可能で、つぶしは効きましたが、過度の統一設計に時代遅れを認めざるを得ないでしょう。現在は、全車引退しています。

 横置きで、機関点検用の蓋を車内に設ける必要が無くなり、その結果遮音性が向上、優等列車にも通用するレベルにまでなりましたが、その後冷房化や勾配区間での出力向上の点では、まだまだ発展の余地がありました。それが、キハ65やキハ181系へと繋がっています。

 それでは、次回をお楽しみに。