Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

終着駅#2

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 それでは、今日も引き続き、近鉄宇治山田ネタをお届けしたいと思います。

 写真は、宇治山田駅北方の、分岐の様子(写真)。一般には、手前にシーザスクロッシングを入れ、その先を4本に分岐させるところ、下り線側は分岐が3つあるだけですが、上り線は2番線と3番線に連続してシングルスリップスイッチが並び、標準軌という軌間と併せ、壮観です。開通時には、恐らく手前の4番線もシングルスリップスイッチで、高速通過は出来ませんが、趣味人を喜ばせる、まるで鉄道模型のような配線であったと思われます。

 そのため、これを模型で造れば、仮に150分の1、軌間9ミリのNゲージでも、十分に楽しめる施設です。近鉄が、「ビスタパーク」のようなものを造るつもりであれば、過去のビスタカー等車両保存をしていたでしょうが、そのジオラマには欠かせないシーンだったでしょう。残念、ほとんど保存されていないようです。

 それでは、次回をお楽しみに。

終着駅#1

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 それでは、今回は、参宮急行電鉄、現在の近鉄の、終着駅であった、宇治山田ネタをお届けしたいと思います。

 国営放送でも話題になった、同駅の転車台(写真)。全線電化で、SLも無く、線路の無い転車台は、一体何?

 これは、観光バス用の転車台で、スロープを上ってきたバスをここで方向転換、折り返し、1番線の乗客をバスに乗せ、同じルートを戻るための施設です。一時休止していましたが、バブル期に復活、そのまま現在に至ります。

 同駅1番線には、バス乗り換え用の屋根のある部分もあり、今後使用が期待されますが、宇治山田折り返しの列車も少なく、現在入線しそうなのは「かぎろひ」位です。今後金持ちビジネスが拡大し、クルージングトレインが入線し、ここからバスに乗り換え、などというツアーが、出来るでしょうか。興味があります。

 それでは、次回をお楽しみに。

Sleeper Class#6

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 それでは、今回は、ナハネフ22 1007の足回りを見ていきたいと思います。

 台車は、TR55形、空気バネ付きの台車です(写真)。空気バネは何処と思いますが、実は心皿にあり、巨大なものです。揺れ枕はありますが、ボルスタアンカはありません。

 台車は、その時代の技術が現れる場所、複雑怪奇ですが、奥の深い技術です。全ては、乗り心地のためです。

 それでは、次回をお楽しみに。

Sleeper Class#5

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 それでは、今回は、福岡市の寝台車を見ていきたいと思います。

 写真は、福岡市東区の公園に保存される、ナハネフ22 1007(写真)。「走るホテル」20系客車の寝台緩急車、後に九州島内の客車夜行急行に使用され、電源の12系客車対応改造をした関係で1000番代を名乗ります。

 同形も、残るのは鉄道博物館のナハネフ22 1のみ、ナハネ20を含めても少数です。

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 昼の姿(写真)。上段寝台は固定、中段寝台は折り畳まれています。

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 夜の姿(写真)。中段が広げられ、3段寝台になっています。なお、寝台幅は70センチでは無く、旧来の52センチです。

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 デッキ(写真)。前位側(右側)、進行方向左手が客室、右手が通路なのが分かります。14系、24系は進行方向左手が通路で、その違いが分かりますが、14系は両渡り、偶数向き緩急車は反対になります。また、後位側(左側)、左半分(奥側)が展望室、右半分(手前側)が車掌室のようです。なお、折戸は暖地形共通です。

 一概に「寝台車」といっても、進化の途中の形態があり、それが14系、24系という形で完成したと見ることも出来るし、まだまだ改善の余地があったと考えることも出来ます。しかし、今後一般用寝台車が製造される可能性は低く、ほぼ命脈は尽きた感じがします。残念です。

 それでは、次回をお楽しみに。

Sleeper Class#4

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 それでは、今日も引き続き寝台車の紹介をしていきたいと思います。

 「九州鉄道記念館」の、追加された保存車両、スハネフ14 11です(写真)。「富士」「はやぶさ」で使用された1両、愛称表示も「富士」を表示します。

 後位デッキから中に入れます。

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 デッキから見た、後方貫通路側(写真)。増結可能なように通路が確保、左右に業務室(ブレーキ)、車掌室があります。

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 客室への入口(写真)。ドアスペース確保のため、すこしずれて、斜めに配置されます。

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 寝台(写真)。3段で落成しましたが、後に固定2段式に改造され、そのため窓が中途半端な大きさです。奥には、折り畳み式の梯子があります。

 九州特急も、廃止され久しいです。客車寝台を知らないファンも、今後増加するのでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

Sleeper Class#3

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 それでは、今日は、クハ715-1、元のクハネ581 8をお届けしたいと思います。

 581系は、世界初の寝台電車として、登場しました。夜は寝台、昼は座席として利用可能、傑作でしたが、新幹線網の整備、ボックスシートであることなどから運用が減少、多くは近郊形419系や715系に改造され、用途が変更されました。

 同車も引退後、小倉工場で保存され、外観を復元され「九州鉄道記念館」保存車両となっています。

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 車内(写真)。種車ボックスシートを生かしながら、洗面台側にドアを追加しています。ボックス部の寝台は、生き残っているようです。

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 洗面台側(写真)。左がトイレで2か所、右が洗面台跡で3つ装備されていましたが、何れも封鎖されています。

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 前側デッキ跡(写真)。仕切りは外されデッキはありません。その前が機器室、右側に通路があります。

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 通路の先は、業務用ドアになっています(写真)。

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 その先は、運転台です(写真)。中間に入るときは、仕切りを閉じ、貫通路が通路として使用可能な構造になっています。クハ481 200番代の、設計の元です。

 秋田で命脈を保っていた、最後の583系も運用が終了し、現役車は無くなってしまいました。老朽化とはいえ、残念です。

 それでは、次回をお楽しみに。

Sleeper Class#2

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 それでは、今日は、引き続き日田市の「富士」からお届けしたいと思います。

 写真は、スハネフ14 5(写真)。一時は塗装も剥げかなり悲惨でしたが、修復が進んでいます。しかし、愛称表示のテールサインは、ありません。

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 オロネ側から、入ることが出来ます(写真)。左はトイレ、右は洗面台、2段寝台で落成した車両と違い、トイレのスペースを縦横にはしていません。

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 寝台(写真)。3段式で落成し、後に固定2段に改造されています。モケットは、JR九州オリジナルです。

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 そして、後方にデッキ、寝台室の出口は斜めです。左には、自動ドアとステップがあり、そのためこのような形になっています。。

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 緩急室(写真)。ハンドブレーキがあります。

 反対側の車掌室は、閉鎖されています。

 客車寝台の設計は、国鉄期からのものですが、まもなく寝台客車を知らない世代が、ファンの主流となっていくのが、残念といえば残念。しかもそれは、間もなくのことです。

 それでは、次回をお楽しみに。

Sleeper Class#1

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 それでは、今回は、引き続き日田市の「富士」をお届けしたいと思います。

 写真は、元オロネ25の、オロネ15 3005です(写真)。寝台特急「さくら」廃止に伴い、「富士」と「はやぶさ」が併結され、九州特急が14系に統一される際に改造編入された車両です。方向幕の「寝台特急 富士 日豊線経由西鹿児島」も注目。

 銀色の帯は、かつてのクロムメッキでは無くステンレスです。「富士・はやぶさ」は、14系14形の白帯と、15形等のステンレス帯が入り乱れ、編成美が失われていました。しかし、それだけ状況が切迫していたのも事実でした。

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 オロネ15 3000番代、すなわちオロネ25は、A寝台個室「シングルデラックス」でした(写真)。座席を引き出し寝台になり、窓際の机を開けると洗面台になっています。トイレ等の設備は共用です。

 因みに、「北斗星」は、金帯の24系客車を使用していましたが、あれが本物の真鍮で帯が出来れば良かったのでしょうが、残念ながらペイントでした。

 それでは、次回をお楽しみに。

乗務の雰囲気#2

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 それでは、今日は、昨日の続き、ED76 91の足回りを見ていきたいと思います。

 先ずは、両端になる動台車、DT129です(写真)。基本的には同時期のED75と同じ、特に60Hz用300番代は全く同じとのことです。

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 しかし、異なるのは、軸重調整で中間に付随台車があること(写真)。TR103です。この調整で、動輪の軸重が調整出来ます。

 また、右側の車軸に速度計がついているのも、ED75との違いです。やはり、台車は奥が深いです。

 それでは、次回をお楽しみに。

乗務の雰囲気#1

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 それでは、今日は、大分県日田市の車両をお届けします。

 日田市の民間施設には、ED76 91と、オロネ15 3000番代(元オロネ25、「シングルデラックス」)、スハネフ14が保存されます(写真)。雰囲気は、九州島内の寝台特急で、ヘッドマークも「富士」を掲出します。

 寝台特急になってからの「富士」は、日豊線回り西鹿児島行きとなり、「トワイライトエクスプレス」登場まで日本最長運転列車でしたが、利用客の関係で南宮崎まで短縮、末期は大分が終点でした。九州特急も、廃止となり久しいです。

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 中にも入れます。機械室はがらんどうで、掲示が展示されます。

 そして、機関士席(写真)。2人乗務で設計され、しかし省力化で1人乗務に変わり、各種安全装置が追加されました。シートは、モケットの張り替えが行われています。

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 助士席(写真)。ハンドブレーキがあり、また機関士の復唱をする助士がいた席です。しかし、JRになってからは原則使用されませんでした。

 今年の梅雨末期で大変だった同市ですが、ここは大丈夫なのか。気になります。

 それでは、次回をお楽しみに。