Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

Double Decker#3

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 それでは、今回は、引き続き京阪3000系、後の8000系30番台をお届けします。

 8000系30番台のもう一つの特徴は、京阪初のダブルデッカーです(写真)。8831、京阪特急8000系にもありますが、その試作車です。

 全景を、先回と同じ丹波橋で捉えました。

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 側面には、京都時代祭の行列絵巻が張られています(写真)。これは、現在も富山地方鉄道でこのまま使用されています。

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 1階席(写真)。階段、通路が寄っているので、2+1列の固定クロスシートです。

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 2階席(写真)。こちらは通路が真ん中なので、2+2列の固定クロスシートになっています。

 旧3000系で、偶然生き残った同編成でしたが、遂に引退、1両が「ヒカリサンゼンひろば」にて保存されます。また、8831は、軌間変更後富山地鉄の京阪特急色車両に挿入され、「ダブルデッカーエクスプレス」指定席として使用されます。それもまた、幸運です。

 それでは、次回をお楽しみに。

Double Decker#2

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 それでは、今日は、京阪電車をお届けしたいと思います。

 京阪特急は、昔は七条を過ぎると、京橋までノンストップでした。その間の娯楽に、「テレビカー」というものがありました。電車でテレビが見れる、ただそれだけですが、直流強電が架線にかかっている状態では、強力な磁場が発生し、通常のブラウン管では映すことが出来ません。そのため、同じ関西の松下と、電車で映せるブラウン管を共同開発し、搭載していました。

 しかし、それが旧3000系廃止のため無くなるとのことで、撮影に行きました。先ずは、丹波橋で捉えた、8081、旧3006です(写真)。引退前に、番号が復元されています。

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 そして、「テレビカー」8781です(写真)。車端にテレビがあります。

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 「テレビカー」のロゴ(写真)。昔は、この銀文字が、輝いて見えたでしょう。

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 車内(写真)。通常の3000系のシート、しかし転換クロスシートです。白いのは簡易座席、長距離立ち席は辛いとのことで、装備されています。

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 テレビ(写真)。液晶テレビで、直流強電の強磁場の影響を受けません。

 BSの無い時代には、電車のアンテナを自動制御する装置も装備されましたが、今は昔、車内でテレビを映すこともありません。

 それでは、次回をお楽しみに。

Double Decker#1

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 それでは、今日は、近鉄「ビスタEX」を取り上げたいと思います。

 初代「ビスタカー」10000系、量産型「ビスタカー2世」10100系に続き、「ビスタカー3世」30000系としてデビューした系列、「サニーカー」12400系を元に、2階建ての構造を変更して、現代風の解釈をした系列です。後にリニューアル改造を受け、「ビスタEX」となりました。

 写真は、初号編成。30101始め4連です(写真)。

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 大型車体の2号車、3号車は、中間にドア及びデッキがあります(写真)。入ります。

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 デッキ部分(写真)。上下の階段は、クロスで配置されます。

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 2階客室(写真)。前後に配置され、2階席ですが、ハイデッカーのような構造です。

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 1階席(写真)。4人掛けと2人掛けソファで、1両に2室あります。なお、現在はこの部分は更に改装され、グループ用サロン席へと変更されています。

 デビューから随分、EXになったのもデジカメより前ですから、永く近鉄の頂点にいた訳です。

 先回の伊勢神宮式年遷宮は、「ビスタカー4世」誕生の最後のチャンスでしたが、近鉄は「ビスタカー4世」でなく、「しまかぜ」という回答を出しました。「ビスタカー」の系統では、後継はもう現れないでしょう。ある意味残念ですが、それも時代と言うべきでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

電車形

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 それでは、今日は、JR東日本の新型(とはいっても随分時間が経っていますが)気動車をお届けしたいと思います。

 キハ110タイプ気動車を、各地に配置し、非電化ローカルの体質改善を行ってきた、JR東日本。更に、旧式車一掃のために、地方線区用のキハE120、そして近郊線区用のキハE130、131、132を次々落成させ、遂に久留里線の旧式車を一掃すべく導入したのが、キハE130 100番代でした(写真、103)。単行運転も、連結運転も可能、久留里線の最大運用3両にも対応していると思われ、またワンマン運転にも対応しています。キハ30の現代風解釈であり、またエンジンの環境対応などの取り組みがあり、いわゆる「クリーンディーゼル」を搭載しています。

 連結器は密連で、従来型気動車との連結は考えられておらず、その下には電連があり、DIMSにも対応しているものと思われます。

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 同車の運転台(写真)。左手ワンハンドルマスコン、電車と操作はほぼ同じのようです。右手用ダミーハンドルもあります(2ハンドルの癖で、ブレーキ時に本能的に右を引いてしまう運転士は、まだ多いようです)。

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 車内(写真)。3ドアで、2ドアセミクロスのキハE120とは異なります。まだ車端のドアは運転室寄りで、運転士が料金収受をできるようになっています。

 ロングシートの構造は、209系以降のJR東日本の電車とほぼ同じで、区切りのスタンションポールのある、簡易な構造のシートとなっています。本当に、電車形です。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#10

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 それでは、今回も引き続き山陽地方の保存車両を見ていきたいと思います。

 写真は「3」とナンバーが入りますが、これは井笠鉄道2号、これもドイツ・コッペル製のタンクSLです(写真)。岡山市の動物園にて保存されます。

 番号がこうなったのは、2号機が「3」を名乗っているからとのことです。

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 キャブ(写真)。やはりオープン式のキャブ、南国仕様です。日本は、常夏の国ではありません。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#9

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 それでは、今回も引き続き山陽地区の保存車両を見ていきたいと思います。

 写真は岡山県、笠岡から内陸に入った新山駅跡に設置された「井笠鉄道記念館」に保存される、井笠1(写真)。ドイツ・コッペル製のタンク機とのことです。

 小型の輸入タンクSL、載っているのは小型の転車台の上です。当時国産では、これだけの軽量には設計出来ず、他の場所で保存されている井笠のSLは、あまり活躍出来なかったようです。

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 キャブ(写真)。夜間閉鎖出来るからか、水面系のガラスも割れず、状態はそこそこで維持されているようです。

 ただ、オープン式のキャブなのは、ドイツ人にとっても日本は南国の楽園と思われているようで、実際とは異なります。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#8

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 それでは、今日は、引き続き山陽地方の保存車をお届けしたいと思います。

 広島県府中市の公園には、写真のとおりC56 106が保存されます(写真)。インターネット地図にも載らない小さな児童公園で、市内のコンビニで地図を買うほどでした。

 府中市福塩線の通り道、福塩線非電化区間で使用されたようです。

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 キャブ(写真)。先日の大井川鐵道の44号機とも異なるのが分かると思います。機関士の前には、ランボードに渡るドアはありません。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#7

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 それでは、今日は、引き続き山陽地区の保存車をお届けしたいと思います。

 広島県呉市には、かつて路面電車が走っていました。その当時の車両が、現在場外馬券売り場にて保存されます(写真)。呉市交通局1001です。

 かつては呉市にも路面電車が走っていたという、唯一の生き証人です。

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 車内(写真)。少しオールドタイマーな感じはしますが、今走っていても普通に感じます。

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 運転台(写真)。マスコンには、三菱(恐らく、三菱電機)のマークもしっかり入っています。三原の三菱重工製でしょうか。ワンマン対応装置も装備されます。

 現存唯一ですが、呉市内も高規格道路が走り、路面電車の痕跡も、消えつつあります。残念ですが、そういう時代でした。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#6

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 それでは、今日は、引き続き山陽地区の保存車を見ていきたいと思います。

 下松市、笠戸島の公営宿泊施設駐車場には、D51 592が保存されます(写真)。夕景の撮影、光線的に厳しいです。

 再訪時には施設の建て替えで撮ることが出来ず、昨冬やっと再度の撮影が叶いました。しかし、錆止めの朱色が見えてしまい、ちょっと、という感じです。

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 当時は、キャブにも立入可能でした(写真)。一般的な形で、準戦時形にも区分されない、安定した時期の1両、この陸地側にある日立製作所笠戸工場製の1両です。地元の誇りでしょう。

 この軸配置「ミカド」は、明治期に日本鉄道が、常磐炭を使用するため火室を広く取るために発注した形で、製作したアメリカの会社が大々的に「帝の国の機関車」と宣伝したため付いた名前です。戦時中彼の国ではは「マッカーサー」などとも呼ばれたそうです。日本を代表する形式で、「きかんしゃトーマス」に出てくる日本製の「ヒロ」も、ミカドでした。

 それでは、次回をお楽しみに。

山陽道#5

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 それでは、今日も引き続き山陽地区のSLをお届けしたいと思います。

 防府駅前の、防石鉄道(廃止)2号機(写真)。見てのとおりドイツのクラウス製です。

 一時は野ざらしで、塗装も剥げ気味でしたが、再訪時には塗り直され、屋根まで付いて、防府市が保存にその気になったようです。

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 キャブ(写真)。右機関士席で、やはり日本は南国の国と思われているようで、オープン式のキャブとなっています。

 折角その気になったのですから、今後も定期的に手入れをして欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。