それでは、今日は、人柱伝説のある橋梁をお届けしたいと思います。
知床斜里から根室標津を目指し建設された「根北線」。途中越川まで開業し、以遠建設が進められましたが、戦争の激化に伴い中断、戦後越川までも廃止となり、以遠も未成線として残ります。
写真は、通称「越川橋梁」とされる、正式には「第一幾品川橋梁」です(写真)。写真からも、高い位置なのが分かります。コンクリート製のアーチ橋で、こちらは上り勾配か。
その、反対側(写真)。更に、山を登る方向に走っています(写真)。なお、途切れているのは、国道工事の際に一部取り壊したからです。
この、コンクリートの躯体部分に人柱が入っている、という説があります。戦時期の過酷な労働下、途中で死んでしまえばそういうことも行われた、タコ部屋伝説です。北海道の主要道路は徒刑となった囚人たちが建設し、遺体が道路に埋めてあったり、そういう惨史が未だ残っています。残念ながら、そういう時代でした。
それでは、次回をお楽しみに。