工場の片隅に置かれた、巨大な門形構造物(写真)。洗車用でも、埃払いのための気噴でも無く、塗装工程の、塗装及び乾燥の装置と思われます。横には、各形式の塗装パターンが並んでいました。
東武の南栗橋は、近鉄五位堂を上回り、恐らく民鉄最大の工場と思われます。大きな工場は、そこにしか無い装置があります。その1つです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回は、名古屋市内の可動橋をお届けします。
名古屋港の近くには、写真のような可動橋の遺構があります(写真)。昔は鉄道が走っていたようですが、現在前後の線路は廃止され、遺構のみが残ります。
可動橋部分のアップ(写真)。後にバランサーがあり、それと桁が釣合を取って動いていたものと思われます。
この先、門や柵はありませんが、工場の内部に当たり、侵入を監視しているらしく、近づくには撮影許可が必要と思われます。そのため、これ以上のアップはありません。
可動桁は、この橋脚で支え、橋になります(写真)。
現在周辺には線路は無く、恐らく昇降は不可能と思われます。もう、通す鉄道車両もありません。遺構となり、残念です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き四国からの写真をお届けしたいと思います。
愛媛県、八幡浜市の公園に保存される、9600形79642(写真)。除煙板は初期の形です。
横にシールドビームを装備した2灯式ですが、玉が割れています。
後方から(写真)。後方は縞に塗られていますが、この明るい方は、オリジナルは黄色だったのでしょうか?ならば、かなり褪せています。
キャブ(写真)。左手でチェーンを引き上げ投入するタイプの焚き口です。ストーカーも無く、投炭は大変です。しかし、やや砂が多い感じがします。
これも、少し忘れ去られている感じの車両で、手入れの仕方があるのでは、とは思いますが、予算の都合でそこまで手が回らないようです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き四国ネタをお届けしたいと思います。
香川県、宇多津町に、写真のような石積みの構造物があります(写真)。トンネルのようでもありますが、前後は築堤なので、橋に分類されるようです。
この構造物の説明が、看板となって建っています(写真)。これは、旧讃岐鉄道岩屋架道橋で、石積みの橋、永く現役でしたが、瀬戸大橋線開業関連で予讃線がルート変更となり、結果廃線跡となっています。登録有形文化財のプレートもあり、構造物には着けられないので、ここにあります。
反対側からの眺め(写真)。国鉄の時代に転落防止柵が付加したようですが、それ以外の変更はありません。
今にしてみれば何でもない構造物ですが、当時としては画期的、歴史的な構造物であると分かります。当分は撤去されないでしょうが、今後は不明です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回からは、四国地方の写真から見ていきたいと思います。
高松空港滑走路脇の公園施設には、YS-11を始めとした、航空機を中心に保存資料がありますが、その中に、琴電の車両が1両、保存されます(写真)。62と書かれます。
各地から車両が集まっている琴電は、正に博物館でしたが、そのうちの1両、半鋼製電車です。
車内(写真)。床はリノリウムが張られますが、その下は木材、他各部も木材を多用し、しかしペンキが塗られています。
運転台(写真)。少し古いですが、今でもローカル私鉄なら走っていそうな車両です。ATS関連の追加装備もあります。
今では、軌間が同じ京急と名古屋市営地下鉄を中心に、他京王などもありますが、車両の種類は減りつつあります。それでも、まだ魅力ある車両が多く、機会があれば行きたいと思っています。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回は、引き続き京阪3000系、後の8000系30番台をお届けします。
8000系30番台のもう一つの特徴は、京阪初のダブルデッカーです(写真)。8831、京阪特急8000系にもありますが、その試作車です。
全景を、先回と同じ丹波橋で捉えました。
側面には、京都時代祭の行列絵巻が張られています(写真)。これは、現在も富山地方鉄道でこのまま使用されています。
1階席(写真)。階段、通路が寄っているので、2+1列の固定クロスシートです。
2階席(写真)。こちらは通路が真ん中なので、2+2列の固定クロスシートになっています。
旧3000系で、偶然生き残った同編成でしたが、遂に引退、1両が「ヒカリサンゼンひろば」にて保存されます。また、8831は、軌間変更後富山地鉄の京阪特急色車両に挿入され、「ダブルデッカーエクスプレス」指定席として使用されます。それもまた、幸運です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は、京阪電車をお届けしたいと思います。
京阪特急は、昔は七条を過ぎると、京橋までノンストップでした。その間の娯楽に、「テレビカー」というものがありました。電車でテレビが見れる、ただそれだけですが、直流強電が架線にかかっている状態では、強力な磁場が発生し、通常のブラウン管では映すことが出来ません。そのため、同じ関西の松下と、電車で映せるブラウン管を共同開発し、搭載していました。
しかし、それが旧3000系廃止のため無くなるとのことで、撮影に行きました。先ずは、丹波橋で捉えた、8081、旧3006です(写真)。引退前に、番号が復元されています。
そして、「テレビカー」8781です(写真)。車端にテレビがあります。
「テレビカー」のロゴ(写真)。昔は、この銀文字が、輝いて見えたでしょう。
車内(写真)。通常の3000系のシート、しかし転換クロスシートです。白いのは簡易座席、長距離立ち席は辛いとのことで、装備されています。
テレビ(写真)。液晶テレビで、直流強電の強磁場の影響を受けません。
BSの無い時代には、電車のアンテナを自動制御する装置も装備されましたが、今は昔、車内でテレビを映すこともありません。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は、近鉄「ビスタEX」を取り上げたいと思います。
初代「ビスタカー」10000系、量産型「ビスタカー2世」10100系に続き、「ビスタカー3世」30000系としてデビューした系列、「サニーカー」12400系を元に、2階建ての構造を変更して、現代風の解釈をした系列です。後にリニューアル改造を受け、「ビスタEX」となりました。
写真は、初号編成。30101始め4連です(写真)。
大型車体の2号車、3号車は、中間にドア及びデッキがあります(写真)。入ります。
デッキ部分(写真)。上下の階段は、クロスで配置されます。
2階客室(写真)。前後に配置され、2階席ですが、ハイデッカーのような構造です。
1階席(写真)。4人掛けと2人掛けソファで、1両に2室あります。なお、現在はこの部分は更に改装され、グループ用サロン席へと変更されています。
デビューから随分、EXになったのもデジカメより前ですから、永く近鉄の頂点にいた訳です。
先回の伊勢神宮の式年遷宮は、「ビスタカー4世」誕生の最後のチャンスでしたが、近鉄は「ビスタカー4世」でなく、「しまかぜ」という回答を出しました。「ビスタカー」の系統では、後継はもう現れないでしょう。ある意味残念ですが、それも時代と言うべきでしょう。
それでは、次回をお楽しみに。