Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

殺生

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 それでは、今日は、「茨城交通」改め「ひたちなか海浜鉄道」の、旧車、「ケハ601」をお届けします。

 ケハ601は、コルゲート外板のセミステンレスボディの気動車茨城交通の意欲作でしたが、「ワンマン運転に対応していない」理由から、稼働機でありながら引退し、ダルマとなり現在に至ります(写真)。つまり、殺生をしました。

 経営的に苦しかった茨城交通の末期に、「売れるものは売る」方針から、ヘッドライトから吊り革まで、金目の部品は全て売ってしまい、一部は買い戻しましたが、大半は復元出来ないまま現在に至ります。

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 車内(写真)。展示室となっており、パネルが設置されます。

 シートはロングシートですが、クッションはスポンジでは無く、藁です。

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 キャブ(写真)。かなり復元されましたが、売値の何倍で買い戻す必要があり、完全には復元出来ません。

 一時の判断で、取り返しのつかないことを二度もしてしまった、同車の現在の姿。現在も走っていれば博物館級の価値があり、それが殺生で終わったのは残念です。こういう車両が二度と発生しないよう、願うのみです。

 それでは、次回をお楽しみに。

雪見の場所

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 それでは、今日は、ところ変わって富山地方鉄道立山線常願寺川橋梁をお届けします。

 第何でしょうか、常願寺川橋梁(写真)。上路式アーチ橋で、鉄骨アーチの上に線路が敷かれ、見事な絵が出来ています。ここで、富山地鉄の電車の走行写真が撮りたいですね。

 しかし、周辺に駐車スペースは無く、出来れば千垣か有峰口か、電車で行って撮った方が良い場所でしょう。そういうデメリットもあります。

 それでは、次回をお楽しみに。

可動式

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 それでは、今日は、現役の可動橋梁である、四日市市の「末広可動橋」をお届けします。

 線路は、四日市駅構内の扱いですが、事実上貨物線、列車通過時以外は跳ね上げています(写真)。

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 列車通過時刻が近づくと、職員が自転車でやって来て、橋の袂にある機器室で操作、大音響のサイレンと共に橋が降りてきます(写真)。上にある、バランサーが上がっていくのが分かります。

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 そして、完全に降りると、音響は止み、橋は固定します(写真)。この状態で列車通過を待ち、通過後はまた跳ね上げます。

 鉄道用可動橋として、数少ない現役の橋であり、貴重です。

 末広可動橋が降りるまでの動画です。

 橋梁を通過する、DD51 893牽引セメントタンク貨物列車です。

 通過後、跳ね上げる動画です。

 それでは、次回をお楽しみに。

科学館#3

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 それでは、今回は、「交通科学博物館」最終回です。

 今回は、これも津山で展示される、国産初の本格的ディーゼル機関車、DD13の、638号機です(写真)。歯車改良型300番代の重連総括制御対応車。600番代の1両です。

 機関は、気動車用機関をベースに製造されたDMF31S、直6で、DD51の機関、V12のDML61Sの元となった機関で、ディーゼル機関車国産化のための、技術発展の歴史を物語る機関車です。

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 キャブ(写真)。主として入換用であったことからセンターキャブになっています。

 国産の本格ディーゼル機関車であることから、各地で活躍、私鉄貨物にも同型機があったり、払い下げがあったりで、また新幹線事業用ディーゼル機関車、912形の種車でもあります。更にDD14、DD15のベース車でもあります。

 日本の技術史上記念すべき機関車ですが、京都には912のカットモデルがあることから、津山行きになったようです。

 それでは、次回をお楽しみに。

科学館#2

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 それでは、今回も引き続き、「交通科学博物館」からお届けしたいと思います。

 DD54が1両しか残っていないために、その代わりに津山に行った、DF50 18(写真)。初期のディーゼル機関車で、機関で発電し、それを制御する「電気式」ディーゼル機関車です。

 現在主力となりつつあるDF200は電気式ですが、それは現在のように電気系がメンテナンスフリーになってからであり、それまでは内燃系と電気系と二重の保守が嫌われ、結果液体式ディーゼル機関車が主流となりました。

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 運転台(写真)。ED70等と同世代であり、製造も同じ三菱重工であり、外観も制御部分も通じる部分があります。マスコンは、ほぼ同じ、電気機関車そのものです。

 電気式が主流になるには、相当の時間がかかりましたが、現在はその方向に向かっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

科学館#1

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 それでは、今夏からは、現在は「京都鉄道博物館」の元の一つである、大阪の「交通科学館」改め「交通科学博物館」(閉館)からお届けします。

 現在は「京都鉄道博物館」展示機となっているDD54 33も、同館の展示でした(写真)。今は見られない、足回りも写っています。

 DD51よりは出力は小さいものの、大型内燃機関1機で駆動されたDD54は、亜幹線区間のホープとして、欧風のデザインと共に導入されました。しかし技術的解釈が十分ではなかったらしく、試作機DD91のようにはいかず、耐用年数11年の内燃動車の期間前に運用を離脱する車両が続出、結果これらの区間でもDD51で統一されることとなりました。

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 運転士席(写真)。左手がブレーキ、右手がマスコン電気機関車と異なりノッチ刻みがありません。

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 助士席(写真)。回転式ハンドブレーキが見えています。

 C54、EF54と共に、悲運の機関車とされるDD54。33号機は、寝台特急「出雲」指定専用機の1両であり、20系客車対応装備があったことから、運良く現在まで保存されます。今更製造されることはありませんが、もし現在の技術で製造されたら、どうであっただろう、と思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

関西風#3

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 それでは、今日は、京阪電鉄寝屋川車庫からお届けします。

 写真は京阪63、「びわこ号」です(写真)。京阪線京津線直通用に3両製造された60形のラストナンバー、かつ現存唯一の車両です。

 複雑な経緯があったようですが、現在も車庫内で保存されます。イベント時には、撮影出来ます。

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 車内(写真)。ロングシート、入口が、鉄道線のドアと、軌道線のステップ付きドアが異なり、双方で使用可能となっています。

 なお、軌道線のステップは、鉄道線運用時は封鎖されています。

 また、同車は、2車体式の連接車になっています。

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 運転台(写真)。左手がマスコン、右手はエアブレーキ、他は圧力計のみで、戦前形の、簡易な運転台となっています。

 同車は動態化を目指し、プッシュプルでの走行は実現したそうですが、自走するのはなかなか困難なようです。やはり、古い電車、難しいのでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

関西風#2

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 それでは、今日は、近鉄の創業期の保存車両をお届けします。

 写真は、「1」と書かれますが、近鉄の前身「大阪電気軌道(大軌)」が最初に製造した電車、デボ1形デボ14です(写真)。半鋼製の電車、、木材も多用されます。

 引退後静態保存されていましたが、移設され、現在の五位堂検修車庫に安住の地を得ました。

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 同車庫のイベント時に、整理券を貰い入りました。

 客室(写真)。ダブルルーフの、木材が多用された電車です。シートはロングシートになっています。

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 運転台(写真)。マスコンエアブレーキハンドブレーキ、圧力計のみ、簡素な構造です。また、正面も内側は木製です。

 五位堂でのイベント時、数年に1回程度同車の車内公開があります。大正期の電車のため、中が傷みやすく、全員には公開出来ないため、整理券を配り限定公開しています。今年の秋は、どうでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

関西風#1

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 それでは、今日は、関西の私鉄の旧車を取り上げたいと思います。

 写真は、京阪電鉄82(写真)、元京津線用の車両です。元は単行運転用で、貫通路もありましたが、後に2両固定となり、貫通路も塞がれ、京都市内の併用軌道廃止、山科以遠の地下化まで運転されました。

 なお、81はカットモデルのみで、同車は個人の余裕物ですが錦織車庫に保存されます。

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 客室(写真)。細めの車体のため、やや窮屈です。

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 運転台(写真)。貫通路のあった部分に、機器を増やし移設されています。少々外観が古い点を除き、今走っている電車とほぼ同じです。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#4

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 それでは、今日は、三次の8620を見たいと思います。

 三次市の市施設には、8620形48650が保存されます(写真)。ちょうど正月前の整備中でした。許可を得て、柵の中に入れさせて貰いました。

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 折角ですので、キャブにも入りました(写真)。典型的な日本型、左機関士もそのままです。ボイラもあまり大きくなく、急行旅客用でした。

 花輪線では貨物にも使用された8620形、オリジナルのスポーク動輪では無いボックス形動輪も一部で使用されたそうですが、現存しないようです。

 陰陽に渡る路線は、中国山地を越えるので、なかなか困難な運用でした。その頃に思いを馳せたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。