Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

科学館#3

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 それでは、今回は、「交通科学博物館」最終回です。

 今回は、これも津山で展示される、国産初の本格的ディーゼル機関車、DD13の、638号機です(写真)。歯車改良型300番代の重連総括制御対応車。600番代の1両です。

 機関は、気動車用機関をベースに製造されたDMF31S、直6で、DD51の機関、V12のDML61Sの元となった機関で、ディーゼル機関車国産化のための、技術発展の歴史を物語る機関車です。

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 キャブ(写真)。主として入換用であったことからセンターキャブになっています。

 国産の本格ディーゼル機関車であることから、各地で活躍、私鉄貨物にも同型機があったり、払い下げがあったりで、また新幹線事業用ディーゼル機関車、912形の種車でもあります。更にDD14、DD15のベース車でもあります。

 日本の技術史上記念すべき機関車ですが、京都には912のカットモデルがあることから、津山行きになったようです。

 それでは、次回をお楽しみに。

科学館#2

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 それでは、今回も引き続き、「交通科学博物館」からお届けしたいと思います。

 DD54が1両しか残っていないために、その代わりに津山に行った、DF50 18(写真)。初期のディーゼル機関車で、機関で発電し、それを制御する「電気式」ディーゼル機関車です。

 現在主力となりつつあるDF200は電気式ですが、それは現在のように電気系がメンテナンスフリーになってからであり、それまでは内燃系と電気系と二重の保守が嫌われ、結果液体式ディーゼル機関車が主流となりました。

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 運転台(写真)。ED70等と同世代であり、製造も同じ三菱重工であり、外観も制御部分も通じる部分があります。マスコンは、ほぼ同じ、電気機関車そのものです。

 電気式が主流になるには、相当の時間がかかりましたが、現在はその方向に向かっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

科学館#1

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 それでは、今夏からは、現在は「京都鉄道博物館」の元の一つである、大阪の「交通科学館」改め「交通科学博物館」(閉館)からお届けします。

 現在は「京都鉄道博物館」展示機となっているDD54 33も、同館の展示でした(写真)。今は見られない、足回りも写っています。

 DD51よりは出力は小さいものの、大型内燃機関1機で駆動されたDD54は、亜幹線区間のホープとして、欧風のデザインと共に導入されました。しかし技術的解釈が十分ではなかったらしく、試作機DD91のようにはいかず、耐用年数11年の内燃動車の期間前に運用を離脱する車両が続出、結果これらの区間でもDD51で統一されることとなりました。

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 運転士席(写真)。左手がブレーキ、右手がマスコン電気機関車と異なりノッチ刻みがありません。

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 助士席(写真)。回転式ハンドブレーキが見えています。

 C54、EF54と共に、悲運の機関車とされるDD54。33号機は、寝台特急「出雲」指定専用機の1両であり、20系客車対応装備があったことから、運良く現在まで保存されます。今更製造されることはありませんが、もし現在の技術で製造されたら、どうであっただろう、と思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

関西風#3

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 それでは、今日は、京阪電鉄寝屋川車庫からお届けします。

 写真は京阪63、「びわこ号」です(写真)。京阪線京津線直通用に3両製造された60形のラストナンバー、かつ現存唯一の車両です。

 複雑な経緯があったようですが、現在も車庫内で保存されます。イベント時には、撮影出来ます。

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 車内(写真)。ロングシート、入口が、鉄道線のドアと、軌道線のステップ付きドアが異なり、双方で使用可能となっています。

 なお、軌道線のステップは、鉄道線運用時は封鎖されています。

 また、同車は、2車体式の連接車になっています。

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 運転台(写真)。左手がマスコン、右手はエアブレーキ、他は圧力計のみで、戦前形の、簡易な運転台となっています。

 同車は動態化を目指し、プッシュプルでの走行は実現したそうですが、自走するのはなかなか困難なようです。やはり、古い電車、難しいのでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

関西風#2

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 それでは、今日は、近鉄の創業期の保存車両をお届けします。

 写真は、「1」と書かれますが、近鉄の前身「大阪電気軌道(大軌)」が最初に製造した電車、デボ1形デボ14です(写真)。半鋼製の電車、、木材も多用されます。

 引退後静態保存されていましたが、移設され、現在の五位堂検修車庫に安住の地を得ました。

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 同車庫のイベント時に、整理券を貰い入りました。

 客室(写真)。ダブルルーフの、木材が多用された電車です。シートはロングシートになっています。

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 運転台(写真)。マスコンエアブレーキハンドブレーキ、圧力計のみ、簡素な構造です。また、正面も内側は木製です。

 五位堂でのイベント時、数年に1回程度同車の車内公開があります。大正期の電車のため、中が傷みやすく、全員には公開出来ないため、整理券を配り限定公開しています。今年の秋は、どうでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

関西風#1

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 それでは、今日は、関西の私鉄の旧車を取り上げたいと思います。

 写真は、京阪電鉄82(写真)、元京津線用の車両です。元は単行運転用で、貫通路もありましたが、後に2両固定となり、貫通路も塞がれ、京都市内の併用軌道廃止、山科以遠の地下化まで運転されました。

 なお、81はカットモデルのみで、同車は個人の余裕物ですが錦織車庫に保存されます。

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 客室(写真)。細めの車体のため、やや窮屈です。

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 運転台(写真)。貫通路のあった部分に、機器を増やし移設されています。少々外観が古い点を除き、今走っている電車とほぼ同じです。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#4

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 それでは、今日は、三次の8620を見たいと思います。

 三次市の市施設には、8620形48650が保存されます(写真)。ちょうど正月前の整備中でした。許可を得て、柵の中に入れさせて貰いました。

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 折角ですので、キャブにも入りました(写真)。典型的な日本型、左機関士もそのままです。ボイラもあまり大きくなく、急行旅客用でした。

 花輪線では貨物にも使用された8620形、オリジナルのスポーク動輪では無いボックス形動輪も一部で使用されたそうですが、現存しないようです。

 陰陽に渡る路線は、中国山地を越えるので、なかなか困難な運用でした。その頃に思いを馳せたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#3

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 それでは、今日は、浜田市にて保存される、C57をお届けします。

 公園の片隅に、C57 165が保存されます(写真)。山陰本線も、ライトパシフィックの多い線区でした。。

 なお、C55設計前のC54は、末期には全機浜田機関区に集結したといいますが、無理な設計が祟り、「欠陥機」との意見もあります。そのため、少数製造のみでC55に改設計されたとされます。確かに、「54」は、祟っています。

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 このような状態ながら、キャブはそこそこの状態で維持されています(写真)。水面系もガラスが割れておらず(プラ板を入れたのか?)、ペイントロックしていることを除けば、真鍮部品も金色で、見られる状態です。

 状態が悪くなると、こういった部品も割れ、保存に耐えられず、危険となり解体、というのが一般的です。危険になった時点で、終わりでした。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#2

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 それでは、今日も引き続き、「倉吉線記念館」からお届けします。

 写真は、同館内に静態保存される、1020です(写真)。5t級のモータ-カー、入換動車として使われたのでしょう。

 屋内のため、スピード不足となり、外のまま絞っていると、ブレます。シャッター優先ならその心配は無いですが、絞り優先だと悲惨です。

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 その、運転台(写真)。2人掛けベンチシートに、機械式の変速装置、小型の内燃動車としては標準的な設計です。状態良く残り、廃止の残念さを表しています。

 それでは、次回をお楽しみに。

陰陽道#1

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 それでは、今日は、倉吉市倉吉線記念館」からお届けします。

 山陰で最初に開業した「山陰本線」は、倉吉から外れ、町外れを通りました、後に市街地に連絡する「倉吉線」が建設されましたが、現在は廃止されています。その、記念館が廃線跡近くにあります。

 写真は、屋外に静態保存されるC11 75(写真)。簡易線では無かったことが分かります。

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 その、キャブ(写真)。火格子が小さいのか、通常は左手でチェーンを引き上げ、右手のスコップで焚く、小型のボイラです。機関士位置は、日本の通常形、左側です。状態は、良いようです。

 それでは、次回をお楽しみに。