Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

現金輸送車

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 それでは、今日も引き続き、小樽総合博物館からお届けしたいと思います。

 写真は、マニ50のようですが、何か違う。そうです、マニ30 2012です(写真)。日銀の現金輸送用の客車、犯罪に備え運用も極秘で、外観も出来るだけマニ50に似せて造られています。

 現金輸送が自動車となったことから運用は廃止され、現存は小樽のこの1両のみです。

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 荷物室に相当する部分には、現金が積まれ、番号と位置が書かれています(写真)。

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 反対側も、位置が書かれています(写真)。

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 その奥は、トイレと喫煙席、その奥はレール方向の2段寝台、A寝台に相当するサイズの寝台です(写真)。天井にはクーラーも装備され、2000番代は電気暖房の車両、空調は完備しています。

 知らぬ間に登場し、知らぬ間に消えていった車両で、実感も沸きませんが、貴重な車両であることは分かります。現存もこれだけですので、永く残って欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

白鳥形

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 それでは、今日は、北海道と縁の深い車両をお届けします。

 その車両は、キハ82 1です(写真)。キハ81「はつかり」の量産型、最初に使われた列車が大阪~直江津~新潟~青森間、及び付属編成が大阪~直江津~長野~上野を結んだ特急「白鳥」であったことから、「白鳥形」と呼ばれる特急車、後に勾配線区を除き、北海道から九州まで、幅広く活躍した車両です。

 現在は小樽総合博物館にて展示されます(写真)。函館~長万部~小樽~札幌を結んだ特急「北海」を掲出します。

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 運転士席(写真)。中央の仕切りが目立ちます。

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 助士席(写真)。登場当時は2人乗務が通常でした。

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 中央部からの眺め(写真)。中間となる時には、仕切りで運転台等を閉鎖出来る構造になっています。

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 座席(写真)。当時の特急2等車の標準、回転クロスシートです。

 北海道では、昭和60年代までにキハ183系に置き換えられましたが、JR東海管内では平成まで使用され、特急「ひだ」や特急「南紀」で使用されましたが、特急「南紀」での活躍を最後に、全車引退、現在は静態保存車両のみです。

 それでは、次回をお楽しみに。

生き残り

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 それでは、今日は、糸魚川気動車をお届けします。

 大糸線JR西日本区間は、大糸北線とでも呼ぶべき状況で、現在はキハ120が使用されますが、以前は3両のキハ52が使用されました。置き換え後津山に1両、いすみ鉄道に1両行き、残りキハ52 156は、長く松任で保存されましたが、現在は北陸新幹線糸魚川駅高架下の施設にて、静態保存されます(写真)。

 現役当時は、いわゆる「首都圏色」、朱色で一面塗られていましたが、現在は朱のツートンの、一般的な国鉄色塗装になりました。結局3両ともこの色です。

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 同車の運転台(写真)。一般的ですが、キーで変速段、直結1段、2段を切り替えます。それは、確かに電車より手間で、直接式であった頃並みです。

 引退後、海外に輸出されたりしましたが、国内に残ったのは良いことです。永く大切にして欲しいですね。

 それでは、次回をお楽しみに。

Zoo

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 それでは、今日は、長野ネタをもう少しお届けします。

 須坂市、須坂動物園には、D51 401が保存されます(写真)。煙突には、長工式か集煙装置が装備されます。

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 キャブ(写真)。安定した時期の、標準型D51です。

 あまり余裕のない敷地に、工夫して動物等を展示する動物園で、動物好きの方には良いでしょうが、基本動物は嫌いな私には、ちょっとといった感じです。なお、一般に動物園の飼育員の方は、獣医の資格を持っています。

 それでは、次回をお楽しみに。

クモユニ

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 それでは、今回も引き続き、長野車両センターネタをお届けしたいと思います。

 今回は、クモユニ143-3です(写真)。スカ色か、山スカ色か微妙です(115系のテリトリーなので、山スカなのでしょう)が、内部改造は全く行わないまま、牽引車代用で使用されます。

 ブレーキ読み替え装置等を装備せず、そのままということで、郵便荷物電車のまま残っています。

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 先ずは、手前側のドアから覗いた、荷物室(写真)。奥にトイレが見えています。また、床がリノリウム張りの平面ではなく、金属のスノコ状になっています。

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 同じドアから眺めた、反対側(写真)。郵便室との仕切りが見えています。床は全面スノコ状です。

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 次のドアから覗いた、郵便室(写真)。仕分け棚と座席が見え、床はリノリウム張りになっています。

 どちらにも手動大型ドアがあり、荷物の出し入れが考えられていますが、国鉄改革が原因で郵便荷物輸送が廃止となり、本来の用途ではほとんど使用されず、現在の牽引車が長くなっています。しかし、それ以前の時代の様子を残す、貴重な証人となっています。

 それでは、次回をお楽しみに。

足回り

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 それでは、今回は、引き続き長野車両センターネタをお届けしたいと思います。

 リフティングに使用されるクハ115の、載せられる本来の台車(写真)。形式はTR62とされ、ディスクブレーキが特徴です。枕バネ、軸バネ共にコイルバネでした。

 115系自体は優れた電車ですが、シートピッチ等の小変更はあるものの、同様な電車を20年あまり造り続けたのも、国鉄の沈滞化の象徴です。ただ、勾配線区用にノッチ戻しや勾配抑速ブレーキも装備し、現在もまだ現役車が多数活躍しますが、そろそろ心配な時期になってきました。長野地区は激減し、東で残るのは新潟地区のみとなっています。その意味では、中国地方は楽園でしょうが、そういって撮影の機会を逃さないようにしましょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

平行#2

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 それでは、今日は、JR東日本長野車両センター(旧称「長野工場」)のトラバーサをお届けします。

 公開イベント時に、飾られるトラバーサ(写真)。乗車体験用ではありません。電動式、手前側の支柱の上にあるパンタグラフで集電し、奥の小さなボックスで操作します。

 敷地を有効利用するには必要な機器、これで円形や扇形にする必要が無く、矩形に出来ます。

 それでは、次回をお楽しみに。

平行#1

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 それでは、今回は、トラバーサをお届けしたいと思います。

 今日の写真は、JR四国多度津工場の、トラバーサです(写真)。ビニールクロスの屋根付き、運転台のあるタイプです。ちょうど反対側に見えています。集電はパンタグラフ式で、奥側に架線と3台のパンタグラフが見えています。駆動は左右2台のモーターで行っていると思われます。

 矩形の工場では、敷地の有効利用に欠かせないトラバーサ、工場の特徴が出ています。

 それでは、次回をお楽しみに。

流用

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 それでは、今回は、山陽電鉄東二見からお届けします。

 山陽電鉄初号車の生まれ変わり、206の台車(写真)。イコライザー式の旧式な台車、本当に再利用、旧式車の流用です。

 車体の鋼製化は、昭和に入って進み、同社も逐次進めたのでしょう、木造電車の使える部分の再利用をしたということです。現代のボルスタレスと、どちらが優れているのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

威風堂々

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 それでは、今日は久しぶりに橋梁をお届けします。

 中央本線中央東線信濃境から富士見にかけて、下り線右方に、立派な橋梁が見えます(写真)。これは、中央本線旧立場川橋梁で、単線時代の同線の橋梁でした。上路トラス橋で、前後に桁橋が続きます。

 電化までは使用され、橋梁自体に設置出来ない架線柱を側方に建て、高くなっていますが、複線化で放棄され、現在の姿になります。今でも現役のように立派ですが、使用されません。

 それでは、次回をお楽しみに。