それでは、今回は、近鉄名古屋線木曽三川橋梁関連の、最終回です。
昨日の場所の少し西、長良川の堤防に近い場所に、写真のような橋台跡が残ります(写真)。コンクリートで固められますが、中からは煉瓦積みが見えており、明治期の煉瓦構造物であるのが分かります。
この向こう側が現在の揖斐・長良川橋梁、その昔の橋台になります。元は関西本線、遡れば明治期の私鉄、関西鉄道に行き着きます。
反対側も期待されますが、残念ながら現在は、築堤も含め跡形無く、痕跡も堤防の補強で残っていません(写真)。また、橋脚跡も河川に標識も無く、ほぼ痕跡はありません。
それから半世紀も経ち、痕跡は無くなりつつありますが、未だ少数残っています。探訪は、如何でしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。