それでは、今日は、北海道ならではの構造物をお届けします。
明治期、旭川から天北線(廃止)ルートで、現在の南稚内まで「宗谷本線」が開通、更に北を目指しました。そして、南樺太の大泊までの間に稚泊連絡船が開業、それに併せ現在の稚内に当たる稚内港駅も開業しました。そして、昭和初期に、乗換客の利便を図るために、写真のような構造物が完成しました(写真)。稚内港北防波堤ドームです。
本格的なコンクリート製の構造物であり、意匠も凝ったものとなっています。また、手前の車から分かるとおり、長大なドームです。
内側の様子(写真)。ちょうど良い幅が確保されています。それもその筈、落成当時はこの中までSL列車が入線して、ここから乗客が乗り換えていたからです。
しかし、終戦により稚泊連絡船は廃止、このドームも本来の用途を失い、通常の防波堤となっています。現在も、無銭旅行者が、この下でテントを張るのに使っているのか、どうか。
それでは、次回をお楽しみに。