それでは、今回も引き続き、北陸本線旧線の遺構を見ていきたいと思います。
刀根を過ぎると間もなく疋田、新疋田で現在線と合流、敦賀に至ります。そこからは現在は、南今庄まで当時国鉄最長の「北陸トンネル」一本で抜けますが、このような長大トンネルを掘る技術が無かった時代、山中を縫うようにトンネルを通過しました。現在、それらのトンネル及び旧線は道路と変わり、一部用地は北陸自動車道に利用されます。単線のため、一部には信号がありますが、大半はそのままです。
そして、そのサミットに当たる場所に、トンネルと、少し広い場所があります(写真)。
その南側には、トンネルの入口がありますが、出口はなく行き止まりです(写真)。
そして、その周辺は平坦で、広い敷地となり、現在は草生し、放置されます(写真)。
東側には、構造物があり、スノーシェッドのようです(写真)。鉄道遺構らしい雰囲気です。
この場所は、鉄道行き違いのために設けられた「山中信号場」跡地で、ここで上下線が行き違いました(写真)。最初の出口の無いトンネルは引上線、反対側の広場は待避線で2線分ありました。そして、ここからは一定勾配で何キロも下り、南今庄に至ります。道路は、本線跡です。
現在では考えられないような設計の部分もありますが、当時の土木技術ではそれが限界で、やむなく建設されたものです。昔の鉄道の、困難さが分かります。
それでは、次回をお楽しみに。