それでは、今回も引き続き、北海道夕張市「石炭と歴史館」SL館のイベントからお届けします。
写真は、三菱大夕張鉄道(廃止)No.4の、シリンダー(写真)。後には、ダイヤモンドヘッド等の部品が写っています。
正に9600形そのままです。同型機ですから。
なお、スペースが狭く、動輪は撮影出来ませんでした。スポーク動輪も写らず残念です。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き夕張市「石炭と歴史館」イベントからお届けします。
写真は、夕張鉄道14の、シリンダー(写真)。ここは種車の8620のままのようです。
その、ダイヤモンドヘッドから後、動輪まで(写真)。ダイヤモンドヘッドは国産のものとは異なる感じで、輸入機であろう9200のままと思われます。また動輪は小さく、水かき(ウェッブ)のないスポーク動輪で、これも初期のものです。夕鉄と日立の合作、歴史的な車両です。
夕鉄は勾配のきつい区間があり、結果このようなSLが多く、この後は9600形の自社発注、及び国鉄からの購入ということになり、必要数を満たしています。石炭を運ぶ鉄道ですから、石炭で動くのは当然という感じはしますが、まだ当時の石油はタダ同然、旅客は気動車も多く用いられました。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回からは夕張市「石炭と歴史館」保存車両をお届けします。
夕張駅ヤード跡地の平原に設けられた、夕張石炭と歴史館は、幾つもの展示館があり、一大テーマパークでしたが、夕張市の財政の著しい悪化により大半が閉鎖となり、一部が営業するのみです。その、閉鎖になった施設の一つに「SL館」があり、営業当時の撮影失敗で撮り直したいと思っていたのに、非常に残念でしたが、昨年お盆と9月初旬に公開イベントがあり、お盆には交通機関の運賃が高く残念でしたが、9月の平凡な週末は一番安いフライトを選択し、遂に撮り直す機会を得ました。
写真は、夕張鉄道(鉄道廃止)の、14号SLです(写真)。国産SL8620形のボイラ等と、恐らく輸入SLでしょう、9200形の足回りを組み合わせ製造されたSLとのことで、全4両ありましたが、現存は2両とのことです。
なお、車体が傾いて見えますが、実際に写真左側に傾いており、支えるサスペンションが平行を維持出来ないようです。
キャブの左側は、機関士席です(写真)。撒砂装置、逆転機、加減弁、編成と単機のブレーキハンドルが見えています。ボイラは8620形ベースとのことで、焚口は小さいです。
キャブ右側は助士席です(写真)。バルブ、水面鏡、その他装置が見えています。
やはり滅多に無い機会であったことから、多くの人が集まり、照明の点かない暗闇の中でゴソゴソ撮影していました。復活とかは無いのでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き、小松市のクハ489をお届けします。
写真は、クハ489 501の、EF63連結部(写真)。連結器は柴田式自動連結器で密着連結器では無く、エアホースと、右側に協調制御用のジャンパ栓KE70が付加され、それがクハ481やクハ489 0番代との違いとなっています。
この車両では、一時資金を募ってこれら横軽協調設備を外し、普通のクハ481のような外観にすることをしたようですが、それなら最初から腐るほどあったクハ481にするか、あるいは同じクハ489でも1にしておくとか方法はあったと思うのですが、一時期そのような外観になっていました。しかし現在は、この姿に戻っています。やはり、これが一番だと思います。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回は、小松市にて保存される、クハ489 501をお届けします。
489系として、485系から独立して製造された同車、クハ481 100番代に相当しますが、向きが固定されたため片渡りとなり、また本来の用途横軽協調装備が追加された車両となっています。
その台車(写真)。TR69Aとされ、国鉄伝統のウイングバネペデスタル式の軸箱支持、またボルスタ台車となっています。また、外側にダンパーが後付けで追加になっているようです。ボルスタアンカも特徴的です。
クハ489 1は、京都鉄道博物館にも保存されますが、あちらはクハ481とほぼ同じで、あまり特徴はありませんが、こちらは横軽装備バリバリで、置くべき車両が逆だったのでは、とも思われ、何と言えば良いのか。しかも外観をクハ481同様にする作業も行ったことがあり、逆ではとの思いは強いです。そこまで考えておくべきであったように思われます。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回はJR西日本金沢総合車両所松任本所のイベント、最終回です。
写真は、クハ681-9の、台車(写真)。T台車、WTR300とされます。付加物はありますが、軸梁式の台車、JR西日本としては初めてとのことです。地平と車軸の距離から考えても、小径車輪のようで、現在「しらさぎ」運用のためブルーとオレンジの帯を纏い、3連の付属編成ですが、元は「はくたか」用、ほくほく線を時速160キロで走った車両です。他の681・683系では準備工の、高速化対応工事も行われており、いろいろな「日本初」があった車両です。
今では金沢までであり、今後北陸新幹線の工事が進めば、いずれ北陸線の大半は第三セクターとなり、松任工場もJR車両の整備が激減し、681系の一部引退なども考えられる気がします。大きな変化を前に、今は記録が求められます。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き、JR西日本金沢総合車両所松任本所のイベントからお届けします。
写真は、昨日も登場した除雪気動車、キヤ143-9の、台車(写真)。形式は、WDT68です。除雪翼側にはスノープラウが装備されます。
その、反対側の台車(写真)。これも反対側にスノープラウを装備します。
台車は、国鉄以来の伝統、ウイングバネペデスタル式の軸箱支持、重量車両を支える形です。単純な軸バネより2倍の支持力になるからです。一般に機関を載せる気動車はこの形が多いようですが、末期には多少変動もあったようです。
究極の台車は無く、結果今の車両のように百花繚乱です。究極は、あるのでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き、JR西日本金沢総合車両所松任本所からお届けします。
写真は、キヤ143-9です(写真)。除雪車両ですが、扱いは機関車でも、機械でも無く、気動車です。業務用気動車の番号が割り振られています。窓は旋回窓で、豪雪でも見えるようになっています。
正面の除雪翼の裏側(写真)。この位置を変更することで、現在は複線用になっていますが、単線用にも変更出来るのか。いずれにせよ、これは可動式です。
反対側の除雪翼(写真)。こちらも、複線用になっています。
除雪機関車だと、運転に機関車の免許が必要ですが、内燃機関車の保有数は激減、しかし気動車であれば非電化区間の運転士なら免許があるでしょうから、その辺のつぶしはききそうです。しかし形式別とも思われ、それは可能なのか。詳しくは知りません。
それでは、次回をお楽しみに。