Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

Departure#3

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連をお届けします。

 写真は、「敦賀赤レンガ」の横に展示される、キハ28 3019です(写真)。1019として落成、冷房電源を搭載し+2000されます。見てのとおり曲面ガラスによるパノラミックウィンドウの運転台になっており、平窓車では無い後期のものです。助士席には、主に福知山区で活躍し、白浜で展示後ここに移設されたという経緯が書かれています。

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 その、運転台側の台車(写真)。中央側にプロペラシャフトのカップリングがあり、動台車、DT22Cと思われます。既に急行形電車でも空気バネが主流となりつつありましたが、量産を急ぐためコイルバネで設計され、同形は北海道から九州まで大量配備されました(北海道用、信越線用は多少仕様が異なります)。軸箱支持は国鉄伝統のウイングバネペデスタル式、一般形気動車とほぼ同じです。末期には普通列車等にも充当され、正に汎用気動車でした。

 キハ58系、末期のキハ28ですので、もっとよく見ていきたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#2

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 それでは、今回も引き続き、敦賀関連の写真をお届けします。

 写真は、「敦賀赤レンガ」内にある、敦賀を中心とした鉄道ジオラマで、その手前に広がる敦賀第二機関区の様子です(写真)。本物も敦賀駅南東側にあり、現在は広い空き地になっています。大型の扇形庫で、中心には実物同様に転車台もあります。

 本物も、現存すれば日本最大級の扇形庫でしょうが、北陸新幹線の工事もあり、残すことはだんだん難しくなっていくでしょう。ルートも問題ですが。

 それでは、次回をお楽しみに。

Departure#1

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 それでは、今回からは福井県敦賀周辺からお届けします。

 写真は、敦賀鉄道資料館です(写真)。旧敦賀港駅の駅舎が、オリジナルの位置か移築したものか分かりませんが、そのまま使用されます(写真)。

 中は資料館となっていますが、撮影禁止のため、ご紹介出来ません。残念。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#17

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 それでは、今回は、北海道連載最終回、根室本線旧線新内駅跡のSLホテルからお届けします。

 今回は、ナロネ22 153、半室は個室寝台です。

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 開放寝台室との間に喫煙室を入れ、ドアの向こうに広がるのは、通路両側に各3室、計6室の個室になっています(写真)。手前のパイプは耐寒設備用のもので、後にSLホテルになったときに追加された施設と思われ、喫煙室のシートの一部を支障しています。

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 個室寝台、昼の姿(写真)。専用座席車で、折り畳み式のテーブルもあります。足下にはヒーターも用意されます。

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 シート前方のアップ(写真)。左側に畳まれているのは、洗面台です。

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 背面には、写真のようなノブがあります(写真)。

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 ノブを「開」に回し、降ろすと、それは寝台となります(写真)。マットレスであり、上にシーツを敷き寝台となります。背後にはベッドライトもあります。部屋全体で一つの寝台であり、中の居住性はどうなのか。しかし使用出来るのは、一部のお金持ちか、でなければ海外旅行者程度で、利用は限定的、庶民には高嶺の花でした。

 「あさかぜ」専用車、全車個室寝台のナロネ20は、日車製の1,2、及び日立製の51の3両のみ、昭和50年代に引退し、現存しないのは残念。このような1人個室寝台と、2人個室寝台のみの車両、ぜひ見てみたかったですが、物心がつく前で、残念でした。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#16

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 それでは、今回も引き続き、根室本線旧線新内駅跡のSLホテル跡からお届けします。

 今回も引き続き、ナロネ22 153からです(写真)。「1960 HITACHI」と仕切りに刻印されます。

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 車内の写真(写真)。手前側がプルマン式開放A寝台です(写真)。右は座席、左は寝台の装備になっており、左には上段に入るための梯子も用意されます。

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 寝台の、アップ(写真)。A寝台は、2段式、上から寝台を広げます。581・583系の寝台も同形ですが、あちらは3段式、中段はこの上段と同じ、上段は荷棚と合体でセットするので、寝台の設定は大変です。

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 下段(写真)。シートと背ズリを引き出して、寝台にしています。また、背ズリの後にベッドライトも装備されており、昼夜どちらにも使用出来ます。座席時のテーブルは折り畳み式です。

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 上段(写真)。手前には落下防止の柵、その奥にマットレスがあり、その上にシーツを敷き寝台にします。明かり取りの窓、及びベッドライトも装備されています。この構造は、その後のオロネ14、オロネ24まで続く開放式A寝台のスタイルとなっていましたが、既に血統は絶えています。

 寝台にゆとりがあるA寝台とはいえ、開放式、外界とはカーテンしか仕切るものが無く、少々不安でした。今や、「寝台列車があったんだって。」となりつつあり、残念至極です。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#15

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 それでは、今回も引き続き、根室本線旧線新内駅跡の、SLホテル跡からお届けします。

 写真は、ナロネ22 153です(写真)。個室及び開放式寝台合造車寝台特急「あさかぜ」、及び九州特急に連結された車両、日立製です。

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 最初は洗面台、湯と水の混合栓、横にはゴミ用の容器でしょうか、穴があります(写真)。

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 その後は、トイレ(写真)。和式で、落成時のオリジナルのようです。

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 車掌室(写真)。ナロネ21とほぼ同じ、灰皿は当時の標準装備です。

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 業務用室(写真)。こちらも灰皿標準装備です。

 そして寝台へと進むのですが、先が長いので、今回はここまでです。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#14

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 それでは、今回も引き続き、根室本線旧線新内駅跡に保存される、20系寝台車をお届けします。今回も、ナロネ21 551です(写真)。ナロネ21 51を、北海道用に耐寒耐雪構造として、+500しています。日立製です。

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 客室内部(写真)。全てが昼間の姿、ボックスシートになっており、下段も、上段も寝台にはなっていません。ナロネ21は、全室がプルマン式(開放型)A寝台の車両です。

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 昼の姿(写真)。ボックスシートがその姿です。

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 座席上には、写真のような仕切りがあり、夜にはこれを延ばし寝台の仕切りにします(写真)。

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 しかし、中間の1か所は、完全に通路まで仕切りがあり、この部分は固定です(写真)。台湾に輸出された車両には、車体強度を増すためにこのような仕切りが設けられた車両を見たことがありますが、これもそのためのものでしょうか。

 やはり、寝台車ですので、夜の姿を見たい気はします。それは、次回以降で。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#13

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 それでは、今回からは、根室本線旧線新内駅跡に設置された、20系寝台客車からお届けします。

 同駅跡には、9600形SLと、20系寝台客車が3両あり、かつては「SLホテル」だったようですが、施設の老朽化で、現在は見学のみとなっています。

 1両目はナハネ20、室内は寝台を全面撤去、展示スペースとなっており、車内に面影はありません。

 そして、2両目は、ナロネ21 551です(写真)。日立の製造、プルマン式(開放型)A寝台客車です。元は51でしたが、北海道対応改造が施され+500、現在の番号に至ります。20系客車、0番代が日本車輌、50番代が日立の製造で、車番が分かれています。

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 最初は、洗面台です(写真)。左右のハンドルで、湯と水の出具合の調整が出来ました。

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 続いて、トイレ(写真)。恐らく、後に交換されたものと思われますが、床面からオリジナルも洋式のようです。

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 その対面は、業務用室(写真)。ベンチシート、2人席で、灰皿も用意されます。

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 その隣は、車掌室(写真)。枕木方向のシート、折り曲げ式の机もあります。

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 その先、客室との間には、喫煙室があります(写真)。シートのモケットが寝台と同じで、これはオリジナルのようです。

 今回はここまで、以降は次回とします。

 それでは、次回をお楽しみに。

大正期まで#12

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 それでは、今回は池北線、後の「ちほく鉄道ふるさと銀河線」(廃止)陸別の、最終回です。

 写真は、現在も動態保存される、同鉄道CR75-101の、連結面(写真)。密着小型自動連結器の横には、ジャンパ栓が3つ、ホースも2つ見え、その横には電線のジャンパ栓が見えています。これは国鉄形等もほぼ同じで、営業当時は池田~帯広間をJRのキハ40形と連結し運転していました。だから、方転しても連結出来る必要があり、結果この形になっています。これは、現在のJR形もほぼ同じで、違うのは特急車位でしょうか。しかし、二度と本線上を走ることはありません。残念。

 それでは、次回をお楽しみに。

 

大正期まで#11

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 それでは、今回も引き続き、ちほく鉄道ふるさと銀河線(廃止)陸別からお届けします。

 写真は、CR75-101(写真)。CR75に、更にイベント用設備を付加した車両です。酷寒冷地用ですが、新潟鐵工所の軽快気動車そのままです。

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 台車(写真)。枕バネには住友金属のマークが入りますが、これは新潟鐵工所製NP122です。DかTかは不明です。ボルスタアンカが特徴の、新しい形の台車です。

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 反対側の台車(写真)。DかTかは不明ですが、基本構造は同じです。

 整備性が上がるよう簡易な構造としていましたが、残念ながら路線自体が維持出来ず、経営安定化基金が底をつき廃止、残念です。

 北海道の鉄道地図は、大正期の頃まで戻ってしまいました。バスの方が維持は簡単で、道路は道路管理者の責任ですから、問題も生じません。再び大廃線が発生し、まことに残念ですが、既に鉄道では維持出来ない区間もあるのでしょう。根幹の問題となっています。

 それでは、次回をお楽しみに。