それでは、今回も引き続きJR東日本長野車両センターからお届けします。
長野車両センター中央の、トラバーサ(写真)。屋根及び側面壁があり、車両が雨等で汚れる心配がありません。
しかし、駆動部分が反対で、あまり意味が無い写真となっています。次回があれば、反対側から撮りたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続きJR東日本長野車両センターからお届けしたいと思います。
写真のスカ色の電車は、クモユニ143-1です(写真)。郵便・荷物電車で、電車の先頭あるいは最後尾に連結され輸送に従事していましたが、国鉄改革で郵便輸送及び鉄道小荷物が廃止となり、用途が無くなり、一部は牽引車に改造、しかし同車は改造されずに残ります。
塗色は、中央東線115系が山スカ色であったからと思われますが、長野色になる前の信越線は、言葉に詰まります。
車内に入れたので、入ります。荷物室(写真)。金属スノコが特徴です。手ブレが酷く、申し訳ありません。なお、左奥は、トイレです。
郵便室(写真)。郵便専用車であると、郵袋室が別に設けられ、郵袋等の出し入れはそこにある出入口で行いますが、同車は仕分け室に出入り扉があり、仕切りが無いものと思われます。
目の鋭い人は、長野駅篠ノ井側にいつも同形が1両停まっているのに気付くと思います。望遠を効かせると写真が撮れますので、ご参考までに。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回からは、JR東日本長野車両センターネタをお届けしたいと思います。
写真は、クハE350の台車です(写真)。T台車であることから、2ディスク+踏面片押しブレーキ、国鉄・JR伝統のウイングバネ台車となっています。
最大の特徴は振り子機能で、当時の主流ベアリングガイド式と思われます。ボディーマウントの空気バネの下の部分がそうです。振り子はE351系の主要な技術ですが、トラブルが多く、結果中央東線でも主流はE257系となり、量産先行車が試験するE353系の本格運用開始により、入れ替わり引退することとなっています。
もう少し横から攻めれば良かったですが、今更撮り直しも出来ず、残念です。引退前後に、もう一回あると良いのですが。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回も引き続き、阪急正雀工場からお届けしたいと思います。
写真は、8413始め8連、「古都」です(写真)。マルーンの漆の上に描いた蒔絵のようで、凝ったラッピングです。阪急のみに可能なデザインでしょう。
同編成は、イベント時に洗車体験に使用され、乗車が可能でした。
運転台(写真)。阪急でのワンハンドルマスコンは6300系以降からですが、3形式目、この系列からVVVF車となっています。なお、左手のピラーには、デジタル式の電圧計等のメーターが装備されます。
多くの鉄道会社が、車体保守省力化の観点から、ステンレスや無塗装アルミ車体を使用することが増えている中、今でもポリシーを持ってマルーンの塗装を維持する阪急は、その中でも美しい車体だと思います。保守は大変ですが、今後も維持して欲しいですね。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回からは、阪急のイベントからお届けしたいと思います。
新京阪電鉄P-6、後の阪急京都線100形116(写真)。かつて山崎の並走区間で、国鉄のSL特急「つばめ」を捉え、悠然と抜き去った怪力の持ち主で、多くの国鉄機関士を悔しがらせました。
春と秋の阪急正雀工場では、以前は神宝線の車両と2連でしたが、現在はP-6のみで乗車体験が行われます。
客室(写真)。2ドア固定セミクロスシート、照明は電球です。
運転台(写真)。当時一般的な電車とほぼ同じでメーターも圧力計程度ですが、残念ながらそれを眺める機会はありませんでした。しかし。助士側に回転式ハンドブレーキがあるのは分かります。
今は山崎も、JRの223系が圧倒的で、少々阪急は苦しいところですが、阪急のマルーンは心落ち着きます。ある意味、名鉄のスカーレット以上に美しい色とも言えそうです。それは、最新の(新)1000系、(新)1300系まで続いています。それは、自慢して良いと思います。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回は、九州のSLをお届けしたいと思います。
肥薩おれんじ鉄道、九州新幹線「出水」駅前に、その機関車はあります、C56 92です(写真)。軽量テンダ機、長距離簡易線用の機関車です。
91号機が限定公開である関係で、見学出来るC56としては、最若番です。
通常は、係員に鍵を開けて貰う、キャブ(写真)。ペンキの色は気になりますが、水面計は2個とも無事で、立ち入りを制限したことはあります。
戦時中C56は、1号機から90号機まで徴用され南方戦線に送られました。つまり同機は徴用を逃れたことが分かります。なお、出征機は、靖国神社と大井川鐵道に各1両、帰還しましたが、他は向こうの土となりました。石ころの棺であり、戦争は、あまりするものではありません。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は、単発でEF60をお届けしたいと思います。
両毛線足利駅前に保存される、EF60 123(写真)。まるで現在のPFのように、首都圏のローカル貨物を牽引した同形は、セノハチ重連補機にできず、現存する数も僅かです。その、貴重な1両となっています。
EF60というと、大目玉1灯か、それをシールドビーム2灯に改造したブタ鼻か、というイメージですが、最終期はこのようなデザイン、EF65にも引き継がれました。
運転席(写真)。左の2段のブレーキも、右のマスコンのノッチを刻んだ扇形も、部品が無く、かなり残念な状態です。復元するにも部品が無く、このままなのか。
同機は計2回撮影していますが、いずれも夕方になってしまい、撮影の向きが限られてしまいます。ちょっと外した時間に行きたいですね。
それでは、次回をお楽しみに。