Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

Panorama#1

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 「パノラマカー」といえば名鉄名鉄といえば「パノラマカー」。多くの鉄道ファンに愛された同系は、未だ記憶に残ります。

 当時の社長はパノラマカーが嫌いだったらしく、舞木検車場内と中京競馬場以外には、保存車両が残っていません。

 その、中京競馬場の保存車両を、見てきました(写真)。7028、後年の姿で、多くの人の記憶に残るスタイルです。

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 先頭の、展望席(写真)。特別料金無しで、この見晴らしを独占出来たのは、今は昔です。なお、ナンバーの場所にあるドアは、運転士席の非常用出入口です。

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 相方、7027は、2階にある運転席を公開しています(写真)。専用階段を使用して登りますが、営業当時の運転士は、車体に設けられた階段を登っていました。

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 運転士席(写真)。中央やや左側で、低い屋根にギリギリの着席姿、足は段差が小さく、しかし奥に空気笛、電気笛、ミュージックホーンのペダルがあります。ミュージックホーンは、3音階で曲を奏で、小田急NSEとも同じでした。

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 助士席(写真)。右側で運転士を補助出来ましたが、1人乗務が通常となってからは、あまり使用されませんでした。

 「パノラマ・スーパー」1000系は、単独の編成は(新)5000系に再利用され、一部指定席特急は1200系としてリニューアルされています。そのうち、「パノラマ」という言葉も、名鉄から消えてしまいそうです。少し、残念な気もします。

 それでは、次回をお楽しみに。

イタ飯屋

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 それでは、今日は、イタ飯屋の中の保存車両を、お届けしたいと思います。

 名古屋市港区の、とあるスパゲッティ屋の中に、その車両は保存されます、そう、名鉄モ510形、モ515(写真)。店舗内の保存でダルマで、内部も改造されていますが、車体は紛れもない本物です。

 モ510形に、5番目の弟がいたのは知りませんでしたが、引退し相当期間が経っているようで、それはここ20年の話では無いようです。

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 正面から(写真)。頭が切れてしまい、再訪が必要です。方向幕はともかく、ジャンパ栓、ホースは現役当時のままのようです。

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 客室も改造され食事室となっており、営業当時の名残は運転台のみです(写真)。この中で、電車に乗った気分になります。ヘタな公園保存車より、遙かに状態は良いようです。

 お食事はそこそこ値が張りますが、焼きたてフランスパンとガーリックバターはおかわり自由で、味の方も本格的、撮りたいなら先ずお客になって下さい。私も、もう一度、そのうちに行きたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

改築中#5

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 それでは、今日は、JR東海浜松工場最終回、「天井クレーン」をお届けします。

 浜松工場は、新幹線開業時に新幹線の整備工場に指定され、以来整備を一手に引き受けてきましたが、耐震補強の改築に併せ、天井クレーンからジャッキに変更することとなり、昨年9月に最終イベントが行われました。JR東海では、「誰も来ないのでは?」と心配する声もあったようですが、蓋を開ければ雨天にもかかわらず、開場前に臨時でイベントを追加するほど集まり、嬉しい悲鳴でした。

 写真は、その天井クレーンです(写真)。N700系を吊り、イベント「空飛ぶ新幹線」をやっています。「リニア・鉄道館」には、700系が展示されるほどで、時代を感じます。

 それでは、次回をお楽しみに。

改築中#4

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 それでは、今日は、引き続きJR東海浜松工場からお届けしたいと思います。

 写真の機械は、ジャッキ、昨年の天井クレーン最終運用以降使用されるものです(写真)。JR九州では16組あり、8両編成を一度に全部車体上げして、一気に仮台車入れ、台車入れが可能となっており、今後多くの工場がこの形に変わっていくと思われます。

 リフティングが見られなくなるのは残念ですが、作業効率から考えると、やむを得ない面があります。東海道新幹線では、台車入換だけで、4日かかってしまうのですから、それは無駄といえば無駄です。やむを得ない判断です。

 それでは、次回をお楽しみに。

改築中#3

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 それでは、今回は、引き続きJR東海浜松工場のイベントをお届けしたいと思います。

 写真は、N700系、N700Aに使用されるパンタグラフ、TPS303です(写真)。シングルアーム、一般に「く」の字形となるところ、折り返し部がほぼカバー内で、ほとんどT字のパンタグラフです。500系用の「翼形パンタグラフ」を思い出します。あれはエアの圧力で接触しているので、長時間電源が入らないと使えなくなるため、予備のパンタグラフがあることは多くの人が知るところでした。

 JR東日本パンタグラフも驚きですが、こちらも負けてはいません。基礎からゼロベースで考え、こうなりました。

 それでは、次回をお楽しみに。

改築中#2

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 それでは、今日も引き続き、JR東海浜松工場からお届けしたいと思います。

 かつてはシャトルバスのターミナルになっていた、センタートラバーサ前の広場(写真)。中心は、今まで使用されてきた、屋根付きのトラバーサです。

 既に建物の改築が進み、このセンタートラバーサも、今後移設、撤去ということが考えられます。来年は、どうなっているでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

改築中#1

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 それでは、今日からは、JR東海浜松工場からお届けしたいと思います。

 写真は、工場の一番端に当たる部分に設置された、新しいトラバーサ(写真)。JR東海オレンジに塗られた、屋根付きのトラバーサです。

 浜松工場も、耐震補強のためとして、操業しながら改築を行っています。その一環で、車体吊りの天井クレーンも廃止となり、昨秋に最終イベントが行われました。このトラバーサは、まだ本格運用には入っていないようで、まだこれからといった感じでしたが、多分ここ1,2年で、大きく変わっていくことでしょう。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう#5

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 それでは、今日は、釧路市からお届けしたいと思います。

 現在釧路市になる、旧阿寒町中心街にある、国鉄、後に雄別鉄道(廃止)に譲渡された、C11 65(写真)。国鉄制式機のナンバーと状態のまま、譲渡されました。

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 キャブ(写真)。小型のボイラ、片手でチェーンを引き石炭を投入します。ほぼ開放の保存の割りには、状態は良い方です。

 現在、この近くまで高速道路が開通し、長閑であった北海道の移動からは、隔世の感があります。高速バスも繁盛し、よりJR北海道の経営を圧迫します。まだ時程はJRが勝っていますが、随時性が、やはり問題です。良い方法は無いのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう#4

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 それでは、今回は、登場2回目、東川町郷土資料館に保存される、旭川電気軌道(廃止)101を、再びお届けします。

 建物のスペースギリギリで収まっている同車、一枚に入れるには、超広角レンズが必要です(写真)。

 奥は、鏡で、広く見せる技術があります。

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 車内(写真)。一部展示用に変更されている部分もありますが、概ね営業当時のままのようです。半鋼製で、木材が多用されます。

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 運転台(写真)。計器は少ないですが、エアブレーキで、他ツーマン運転用の装備があります。

 今年、同鉄道最後の車両、1001も撮りました。そのうちに、お届けする機会があればと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。

トンネルの向こう#3

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 それでは、今回は、引き続き北海道の車両からお届けしたいと思います。

 写真は、三菱美唄鉄道2(写真)、鉄道院4110形同形です。5動軸のタンク機、急勾配線区用で、同形は人吉や庭坂に配置され、肥薩峠や板谷峠越えに使用されました。

 三菱美唄鉄道も勾配線区とのことで、同形が使用されたようです。

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 キャブ(写真)。焚き口は小さく、急勾配用としては小さめのボイラです。肥薩峠では1駅ごとに給水が必要とのことでした。

 肥薩峠ではD51に置き換えとなり、戦後最後の制式SLであるE10が、期待を持って配備されますが、空転が酷くすぐに転属となり、D51が永く天下でした。函館本線もD51を使用したはずですが、美唄への入線は無かったようです。

 それでは、次回をお楽しみに。