それでは、今日も引き続き、JR東海浜松工場からお届けしたいと思います。
かつてはシャトルバスのターミナルになっていた、センタートラバーサ前の広場(写真)。中心は、今まで使用されてきた、屋根付きのトラバーサです。
既に建物の改築が進み、このセンタートラバーサも、今後移設、撤去ということが考えられます。来年は、どうなっているでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今回は、引き続き北海道の車両からお届けしたいと思います。
写真は、三菱美唄鉄道2(写真)、鉄道院4110形同形です。5動軸のタンク機、急勾配線区用で、同形は人吉や庭坂に配置され、肥薩峠や板谷峠越えに使用されました。
三菱美唄鉄道も勾配線区とのことで、同形が使用されたようです。
キャブ(写真)。焚き口は小さく、急勾配用としては小さめのボイラです。肥薩峠では1駅ごとに給水が必要とのことでした。
肥薩峠ではD51に置き換えとなり、戦後最後の制式SLであるE10が、期待を持って配備されますが、空転が酷くすぐに転属となり、D51が永く天下でした。函館本線もD51を使用したはずですが、美唄への入線は無かったようです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は北海道の2回目、岩内町のD51をお届けします。
写真は、D51 159です(写真)。公園の中に静態保存されます。
塗装に傷みはありませんが、銀色の場所までペンキが塗られ、動態化はほぼ不可能です。
キャブ(写真)。こちらも同様、ペイントロックしていて、可動部も動かない様子です。
オープンな公園で、この程度の傷みであれば、まだ軽傷という感じはしますが、動態化は残念ながら無理でしょう。保存という観点から、仕方ない面はあります。
それでは、次回をお楽しみに。