Tetsu Construction

こんな、構造物なんだ!

瞼の恋人

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 それでは、今回は、ところ変わって「北近畿タンゴ鉄道」、現在の「京都丹後鉄道」、宮福線からお届けします。

 宮福線に乗っても、JR115系電車や、KTR700形ばかりで、なかなか巡り会えなかったMF形。MF100も僅か、増してMF200はいつも車庫で、なかなか残念でしたが、偶然乗り合わせる機会があり、福知山から宮津まで乗車しました。

 車両は、MF202、赤いMF2両のうちの1両です(写真、宮津にて撮影)。

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 車内は、0系発生品の回転リクライニングシートが装備され、車両の割りには贅沢です。そして、運転台(写真)。国鉄から独立した頃の、第三セクター鉄道気動車として標準的な運転台です。

 しかし、内部はともかく外装は傷みが見られ、KTR形では空調にトラブルのあるものもあり、うちわを車内で配っていたのも思い出です。運営主体が代わり、整備が行き届くよう願うのみです。

 それでは、次回をお楽しみに。

戦力外となっても#2

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 それでは、今回も引き続き、豊橋鉄道渥美線退役車両をお届けします。

 デワ11の隣には、デキ211が停まります(写真)。クリームにスカーレットの帯は、豊鉄らしいとも、名鉄特急の一時のストロークリームとも思われます。

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 運転台(写真)。大型の、おそらく直接式のGE製マスコンと、ブレーキが、横向きに配置されます。

 600Vから1500Vへの昇圧は、これらの車両を引退させましたが、本当は名鉄と直通運転がしたかった、との説もあります。関連会社ですから、そういう話もありそうですが、結局名鉄にその熱意が無く、新豊橋の移転を経て、現在の東急ダイヤモンドヘッドとなっています。

 これらの車両は引退しましたが、その後も保存され、幸運でしょう。ここまで電車が来ることはありませんが、バスは来ます。是非、見て下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。

戦力外となっても#1

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 それでは、今回は、豊橋鉄道引退車両をお届けします。

 写真は、渥美線デワ11です(写真)。電動貨車、二軸単車で半鋼製の車両です。田原市内の農業公園にて保存されます。

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 運転台(写真)。マスコンハンドブレーキのみで、エアブレーキも無く、単行を前提とした車両のようです。

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 内部(写真)。床から天井まで、骨組み以外は全部木材で、非常にウッディーです。

 渥美線600V当時使用されたこの車両は、1500V昇圧に伴い、対応改造されることなく引退しました。戦力外とは、残念。しかし、保存されているのは良いことです。

 それでは、次回をお楽しみに。

大外回り#3

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 それでは今回は、名鉄三河線、海線の廃線跡を辿る旅の、最終回です。

 旧一色町内は、廃線跡が道路と少し離れた場所を通るため、よく分かりません。そのまま、旧吉良町に来てしまいました。

 写真は吉良吉田駅、蒲郡線として残る旧三河線が、西尾線と合流する場所です(写真)。合流が分かる、二又の駅です。

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 旧来の蒲郡線三河線)1,2番ホーム(写真)。営業当時から右側1番線は使用頻度が低かったですが、現在は全く使われなくなり、新安城・西尾方面の3番線との間に中間改札を設け、2番線に蒲郡行きワンマン電車が停まります。

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 振り返ると、1番線側には架線柱が立ち車止め、2番線側は暫く線路と架線が続いています(写真)。

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 その先は、1番線側への渡り線跡があり、もう少し続いています。

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 広い道の踏切跡からの眺め(写真)。一つ前の踏切跡で線路は途切れ、架線もその少し先の架線柱で終わっています。

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 手前に戻って撮影(写真)。2番線側の本線も車止めで途切れ、1番線側は線路の間に樹木が生え、使用されなくなり時間が経っていることを教えます。

 入換及び停泊のための施設として、一部廃線跡が残りますが、既に遊休施設化しており、今後この場所が再開発される可能性も大きいです。駅前の一等地ですし。

 知立から碧南までは15分おき、碧南から吉良吉田までは1時間おき、吉良吉田から蒲郡までは30分おき、正直鉄道の頻度としては運転が少なく、結果電化が廃止され内燃車に置き換えられ、現在はバスとなっています。典型的な鉄道の退行ですが、それは「利用しない」ということで自ら招いた結果でもあります。

 吉良吉田~蒲郡間も、鉄道の存続そのものに疑問が生じるような利用で、私は事ある毎に利用するよう心がけていますが、今後が心配されます。存廃は、利用の結果です。

 それでは、次回をお楽しみに。

大外回り#2

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 それでは、今回も、引き続き名鉄三河線関連をお届けしたいと思います。

 碧南市から矢作川を渡り、対岸の、旧「一色町」(現「西尾市」)の、県道に架かる高架橋(写真)。普通の鉄道高架橋です。

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 この、北側(写真)。道路を跨ぐために、計画的に勾配を登り、道路を跨いでいます。

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 南側(写真)。こちらも計画的に勾配を登り、道路を跨いでいます。

 しかし、これは廃線跡で、三河線の碧南~吉良吉田間、廃止区間になっています。時間とお金をかけ完成しましたが、10年と使わずに、走ったのも気動車のみで、電車も走らず、廃止になってしまいました。完成から廃止までの期間が短く、耐用年数と補助金返還の問題もあったようです。他の用途に転用も出来ず、勿体ないです。

 それでは、次回をお楽しみに。

大外回り#1

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 それでは、今日からは、名鉄三河線(部分廃止)関連の写真をお届けしたいと思います。

 最初に行ったのは、碧南。かつては、ここから市街地を大回りして一色方面を目指していました。それは走ってショートカットすれば追いつくほど、とのことでした。

 スーパーの裏手に線路跡の空き地があり、ここから碧南駅方面が望めます(写真)。

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 折角なので、一つ北側の踏切跡に行きました(写真)。幾つも並ぶ車止めに、無念さが滲んでいます。

 蒲郡から大外回りをして刈谷知立を経て猿投、西中金に到達し、最終的には飯田までの路線建設を画策した、旧「三河鉄道」は、西中金から足助方面に建設中に、未成線が出来たまま、名鉄に戦時合併されます。しかし保持する免許により、数十年後豊田線が開業、鉄道路線免許は昔のままであるのが分かります。以降は縮小で、廃止が続いています。向きは、変わらないのでしょうか。

 それでは、次回をお楽しみに。

真夏の涼感#5

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 それでは、今回は、近鉄奈良線旧生駒トンネル最終回です。

 トンネルの途中に、北側に分岐するトンネルがあり、そこに手書き風の「石切開閉所」との看板があります(写真)。

 ここから、広いトンネルが分岐しています。

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 その先は、少し下っています(写真)。

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 その先は、更に下っています(写真)。

 この先は、「東大阪線」、現在の「けいはんな線」の、生駒トンネルに繋がっています。旧生駒トンネルは、そのトンネル工事の作業用通路でもあり、ダンプや重機が通ったため、地盤がコンクリートで固められています。完成後は、事故時の避難用出口の機能もあります。

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 その位置は、「出口 石切側 465メートル」です(写真)。北側を通るため、向きは反対です。

 8月の盛夏の時期でも、10度台と、非常に涼しく、怪談ではありませんが気持ちの良いものでしたが、発汗対策をする必要があり、登山用の合羽がある人は持っていった方が良いと思います。しかし、今年の開催はあるでしょうか?

 それでは、次回をお楽しみに。

真夏の涼感#4

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 それでは、生駒トンネルの連載を、続けていきたいと思います。

 その、鉄の扉が開きます(写真、後の撮影)。順番に、中に入っていきます。

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 トンネルを伝い、進んでいきます(写真)。

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 その奥で、先が見えますが、立入禁止です(写真)。この先は現在の奈良線生駒トンネルで、このトンネルは、非常時の脱出ルートになっているとのことです。

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 そして、出口から、正面の壁を見ると、看板が(写真)。「出口 石切側330メートル」の位置です。

 これで、このトンネルの現在の利用目的の半分が分かりました。残り半分は、どうでしょうか。ご期待下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。

真夏の涼感#3

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 それでは、連載は、旧生駒トンネルの中へと入っていきます。

 間もなく、トンネルの中は、8月の真夏の時期ながら、一気に温度が下がります。そう、地中なので、外気ほど温度変化が無いのです。間もなく、涼しい位の温度になります。ただ、支給のビニールのレインコートは蒸れ、その水蒸気が内側で水滴に変わり、非常に苦痛です。持っている人は、登山用の撥水でかつ水蒸気が排出出来る、合繊の合羽を持っていった方が良いと思います。

 トンネルは、細かいレンガを積み重ねて造られています(写真)。天井には。排水か排気か、ダクトが走っています。

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 トンネルの壁に、凹みがあります(写真)。人が入れるほどの大きさです。

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 覗くと、作業中の作業員の一時避難場所であると分かります(写真)。営業中に保線するなら、絶対に必要な施設です。。

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 しかし、その一つが、鉄骨で囲われ、煉瓦も後付けで壊した感じになっています(写真)。奥には、鉄製の扉があります。これは、一体、…。

 それが、次回のネタです。大きさと、状況から、想像してみて下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。

真夏の涼感#2

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 それでは、連載を続けていきたいと思います。

 「孔舎衛坂」駅跡の後には、封鎖されたトンネルがあります(写真)。これが、この連載の主役です。そう、近鉄奈良線旧生駒トンネルです。

 近鉄の前身「大阪電気軌道」が、資本金の半分、社運を賭けて生駒山脈のど真ん中に開けたトンネルで、近鉄の現在の繁栄の源でした。

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 トンネル上部(写真)。扁額はありません。

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 入口は、現在封鎖されています(写真)。犯罪防止の観点からも、当然と言えば当然です。

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 そして、扉が開きます(写真)。中へと入ります。

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 しかし、また10メートルほど内側に、更に扉で封鎖されています(写真)。厳重な管理です。

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 その扉を越え、更に中に入ります(写真)。トンネルの、中へと入っていきます。

 今回は、ここまでです。まだまだ続きますので、ご期待下さい。

 それでは、次回をお楽しみに。