それでは、今日は、犬山市にある「明治村」から、お届けしたいと思います。
写真は、「鉄道局新橋工場」の建物、大井から移築したものです(写真)。国産初期の金属製の建物です。外国の建築物に倣い、国産の部品で組み立てた建物です。
中には、明治天皇と皇后の御料車が保存され、明治期の最高級車両の構造物と内装がそのまま残り、こちらも豪華です。見たい方は、是非犬山へ。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は、日本初の実用常伝導リニアモーターカー、「リニモ」をお届けします。
リニモの車両、100形111始め3連(写真)。あいち万博の時、多くの人が利用した車両です。
構造は、レール下面の電磁石が引き合い浮上し、各車両6組あるユニットがVVVF制御で走行します。
運転台(写真)。万博当時は全列車運転手がいましたが、現在は藤が丘~はなみずき通の地下区間のみ運転士が運転し、以外の区間は自動運転で、運転台カバーを閉じます。そのため、あまり見ない部分です。右手ワンハンドルマスコンです。
前面展望(写真)。強化ガラスの前面で、眺望は抜群です。非常用脱出貫通路も内蔵します。
以降、正面が強化ガラスの車両は、JR九州を中心に増え、良いことだと思います。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は、真岡鐵道真岡に展示される車両をお届けします。
写真は、国鉄真岡線当時に使用された、キハ20 247です(写真)。以前は別の位置にありましたが、静岡からのD51搬入に伴い移動し、本線に繋がる側線の隅に移動しました。
移動前は、「SLキューロク館」の横にあり、階段があり内部見学が可能でしたが、現在は少し難しいようです。
運転台(写真、見学が出来た当時の撮影)。少し旧式ですが、今走っていても違和感はありません。
客室(写真、同上)。つい最近まで走っていたキハ52等と同じ、20系気動車とされ、冷房がない点を除けばあまり違和感はありません。少し、古い感じではありますが。
20系気動車も、いまや「いすみ鉄道」のキハ52の1両のみとなり、保存車も数えるほどです。今後とも、保存が続くよう期待したいですね。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日は、三岐鉄道北勢線からお届けしたいと思います。
写真の車両は226、半鋼製の電車です。北勢鉄道時代の電車と思われ、戦時統合で三重交通となり、後に内部・八王子線に移籍、四日市市内で保存されていたところ、北勢線が近鉄から三岐鉄道に移管後、阿下喜駅に戻ってきました。
この電車を整備するスタッフの中には、現役当時に北勢線で整備した、という方もいらっしゃるそうです。
運転台(写真)。左マスコン右ブレーキで、電車としては標準ですが、やはり古い電車で計器が少なく、旧式なのが分かります。速度計も正に後付けのものです。
こういう初期の電車が残っていることは、素晴らしいことです。今後も大切に保存して欲しいです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、今日も引き続き豊田市「鞍ヶ池公園」からお届けします。
昨日は、モ805をお届けしましたが、今日はその相方、ク2313です(写真)。これも半鋼製の電車、内装は木材を多用しています。
かつて名鉄では、2000番代と3000番代は相方で、鋼製車体載せ替え組の番号でしたが、1両も現存せず、2000系、2200系は特急に、3100系、3150系、3300系、3500系、3700系は一般形VVVF車が使用します。
運転台(写真)。半室運転台ですが、横のドアはアルミ製、引退後保存のため設置されたものと思われます。オリジナルではないので、念のため。
この2両で、新線であった豊田線(豊田新線)の試運転を行いました。その後本線に復帰しましたが、結局引退、安住の地を見つけました。
なお、名鉄が三河鉄道から引き継いだ免許は、八事が起点でしたが、瀬戸線栄町乗り入れ、及び鶴舞線との相互直通を条件に、名古屋市内の免許を名古屋市に譲渡したことから、現在の姿になります。
それでは、次回をお楽しみに。